わたしの自己紹介

わたしについて
・50代女性
・関西出身
・夫と娘2人の4人家族
・しばらく専業主婦をしていましたが、良いご縁をいただき、傾聴の仕事を始めることになりました。

そんなわたしの生まれてから今日にいたるまで歩んできた道のりです。

< 幼い頃 >

四方を山に囲まれた関西の田舎で生まれました。
母が3才のわたしを連れて離婚。母子家庭で育っています。
母は、家庭に起きた生活の変化を、こどもにもわかるように説明出来る人ではなかったので
周囲の大人たちの話などから自分の置かれた身の上を理解していました。
体も大きかったのですが、精神的に早熟なところもあったように思います。

<部活に支えられた学生時代>

母が安定した職につき、経済的な苦労を感じることはありませんでした。
荒れることもなく、勉強も運動も友達づき合いもごく普通だったと思います。
でも、素直に感情が出せなくて、いつも心にふたがされているような重苦しさを感じていました。
また、喜びも苦しみも共に出来る深い人間関係を求めていたのでしょうか。
部活で得たものが、わたしの人格の基盤になっているように感じます。

<社会人になって生き辛さを感じた20代>

学校卒業前、働くことに強い不安を感じていました。
卒業後は障害者施設に就職。
その後、保育園やスイミングスクール、幼児教室などでこどもと関わる仕事に携わりました。
料理教室や、趣味を活かして呉服店で働いた経験もあります。
転職を重ねてしまう自分、恋愛や友人関係にも、行き詰まりを感じ始めました。

<乳がんの手術をきっかけに、生き辛さの原因に気付いた30代>

無職で実家暮らしの時に乳がんの手術を受けることになりました。
死への恐怖は一瞬だけで、わたしの心を占めたのは母の存在、母の一挙一投足でした。
その時に、生き辛さの原因が母であることを自覚することとなりました。
術後に出会った夫と結婚、長女の誕生、怖いくらい幸せな毎日を過ごしていました。
母とわたしの間には程よい距離感が保たれていたのです。

<原因である実母との関係に向き合った40代>

母との同居で、ご機嫌だった生活は壊れ、幼い娘たちにも影響を与えていきました。
自分一人では抱えきれなくなり、家族も含めいろんな人に話をするのですが
理解してもらえず、さらに心は傷つき、身体にも不調が現れました。
カウンセリングを受けて、傾聴の力を知ったのがこの時です。
その後も、心理学の本を読んだり、ネットで得た情報を使って、自分を癒やしてきました。

<様々な呪縛から解放され始め、人生が楽しめるようになってきた50代>

自分の感情や感覚を、ストレートに感じて大切に出来るようになってきました。
大きく深く呼吸が出来るようになり、身体の緊張も緩んできています。
何かをやりたいというエネルギーがふつふつと湧いてきていることを感じます。
そして何より、娘たちとの関係が安定し、家族の絆が強くなったと思います。
今、この時、この瞬間を、味わいながら過ごしていきたいです。

このブログでは
母を受け容れられない自分に罪悪感を抱きながら大人になったわたしが
アラフォーで結婚し子育てしながら実母との関係に悩み苦しんだ日々を振り返りつつ
現在の生活を綴っています。
娘たちはまだ小学生と中学生。
実母のこと、子育てのこと、家族のこと、家事のこと、仕事のこと・・・etc
わたしの日常生活のあれこれを記事にしていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

2017年5月

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