「親も愛せないのに、どうして他人を愛することができるのか」
この言葉の受け取り方は、時を経て変化していた。
この言葉を知った当時、わたしは30代前で独身。
自分の生き辛さの原因が母だと気づく前だった。
当時のわたしは「他人を愛することの難しさと
報恩感謝は人の道、第一番に親孝行をすべし」
そう教えている言葉だと捉えた。
親は自分を産み育ててくれた恩のある存在。
深い縁や恩ある親でさえ大切にできない人間が
赤の他人を大切にできるはずがないという意味。
今、60歳を前に母娘問題を卒業したわたしが
冒頭の言葉の意味をどう捉えているかというと
「親だから大切に」なんていう短絡的な親孝行を
諭す言葉ではなかったんだと思うようになった。
自分も親をやってみて、よーくわかったけど
親だから立派なわけでも尊敬されるわけでもない。
卑劣な親、こどもを潰す親だっている。
世の中のすべてのこどもが
我が親を愛せるなんてことは、実は、至難の業。
親だと認めたくなくても、血の繋がりは消せない。
親のすべてを否定した時、そのこどもである自分の
存在までも全否定してしまう苦しみを伴う。
だからこそ、親子の葛藤を乗り越えて、人間として
親を愛せたなら、赤の他人をも愛することができる。
そんな意味を含んでいたのだと思うようになった。
縁が深いからこそ、不仲な親子関係の愛憎や確執は
激し過ぎて、他人よりも親を大切にすることの方が
難しいんだと思う。
だから、親子関係の葛藤に向き合おうとするだけで
もう十分、親孝行なんだと言っていい気がする。
そして、その目には見えない親孝行で
現在・過去・未来が変わり、世界が変わることがある。
親子間の葛藤を乗り越えるって
DNAが変化するくらい、すごいことなのかもしれない。
★FBページ★で、2024年2月1日より月~金20時
わたしの母娘関係を幼少から時系列で定期投稿中。
★Xエックス★では
ブログ・FBページ更新のお知らせと日常を投稿。心に刻んでいたから