母へのネガティブな感情をともなう思い出を
さんざん、書きつらねてきたわたしも
最近は、自分の意識の焦点が
ポジティブな感情に向くようになってきた。
数少ないポジティブな印象がある母の思い出も
書きのこしておこう。
1つ、怪我させた友達の家に謝りに行ったこと。
小学校でソフトボールをしていて怪我をさせた。
わたしがバッターボックスで振ったバットが
審判役で立っていた一つ下の女子に当たった。
母と2人、雨が降る夜道をトボトボと歩いて
その子の家にお詫びに行った。広い玄関の隅で
頭を下げたことをずっと覚えていた。
その時の気持ちはネガティブだったけれど
ポジティブな印象が残っていたのはなぜだろう?
今になって言葉にしてみた。
母が一緒に謝りに行ってくれたことは
怪我させてしまった申し訳なさや心許なさなど
母娘で気持ちを共有していたと感じられたから。
2つ、「アンタはえらいな」と褒められたこと。
小学校卒業の時、低学年の子が折り紙の輪飾りに
メッセージカードをつけた首飾りをくれた。
わたしは、かさ高い輪飾りだけ捨てることにした。
「ありがとう、ごめんな」と、ゴミ箱に入れると
そばで内職をしていた母が「アンタはえらいな」。
わたしは、初めて聞く母のストレートな褒め言葉に
驚いて「何が?」と聞き出そうとしたが、母からは
「ごめん言うてるから」の一言を引き出せただけ。
首飾りを作ってくれた子の真心に感謝して捨てる
わたしの姿勢を、母は褒めたのだと解釈した。
母は、周囲の人からわたしが褒められた話をよく
していて、自分の娘が「ええ子や」「賢い」など
と言われて気を良くしていた。
職場では「トンビがタカを産んだ」と言われて
いると母は、面白おかしく嬉しがっていたけど
何ともわたしは、微妙な気持ちだった。
「〇〇さんがアンタのこと褒めていた」じゃなく
母に直接、具体的に積極的に褒めてほしかったし
実際褒められて、嬉しかったんだな、わたし。
3つ、わたしの訴えにすぐ対応してくれたこと。
中1で同じクラスになった女子が、学校用務員の
仕事を蔑む気持ちで「小使いさん」と言った。
わたしの母が、入学した中学校の用務員をして
いることを、その子は知らなかったと思うが
傷ついたわたしは、珍しくその話を母にした。
母は「先生に言うてあげよか」と言って、すぐ
相談してくれた。先生がその子に話をしたようで
それからは嫌な思いをすることはなかった。
この3つのエピソードは
いつもわたしの心にあったのだけど
母娘関係を卒業して、やっと日の目を見た感じ。
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