短大卒業前に感じていた
そこはかとない社会への不安は
現実のものになった。
わたしの人生再生の出発点だった
障がい者施設で得たもうひとつは
自分を思い知る経験だった。
ありのままで受けいれられた場所
だったけどわたしは
自分自身を受けいれられなかった。
理想と現実のギャップなんてあって当たり前なのに
仕事を辞める決意をする。
どんなに温かい職場でも、学生時代とは違います。
就職して、自分の未熟さを知ることになります。
指摘されると全否定されたと感じる、卑屈さ。
自分に対する助言や注意を、謙虚に聞けない。
自分に好意を示されても、素直に受け取れない。
自己開示できないから正しく理解されず、孤独で
理解されないと人のせいにして見限る、傲慢さ。
事実、本音、本当のことを言わない、狡さ。
隠す、黙ることで、嘘をつく・・・。
わかりにくい、扱いにくい人。
自分が傷つくのを怖れて、自分のことばかり考えて
防衛機制を張り巡らせていました。
当時のわたしの成分は
9割がた、自己嫌悪感で構成されていました。
自分の未熟さを直視したら、さらに自己嫌悪が拡大されて
残り1割の自分も削られていきます。
自分がなくなってしまう恐怖で
卑屈で狡くて嘘つきで傲慢な、今の自分を認められません。
だから、「今の自分は、本当の自分ではない」
という強烈な自己否定をして、自分を守っていました。
どこかに、本当の自分がいると思うことで
今の自分が存在できていたんです。
自己嫌悪の心の痛みから逃れたくて、自己否定を続けました。
でも、自己否定の先に、出口なんてないんです。
自己嫌悪→自己否定→自己嫌悪→で、堂々巡りの無間地獄。
そりゃあー、苦しいはずよー、辛かったなあ。。。
「辛かったなあ。。。」
と、過去の感情を振り返っていると
。。。ちがう、ちがう。
わかってほしいのは、辛かった気持ちじゃない。
心の声が聞こえて、ハッとした。
ああ、ああ、、、そうか。。。
ごめん、やっと気づいた。
「こんなわたしサイテー」と、自分を嫌うことで
「わたしはここにいる!」と、自分の存在証明をしていたことを。
「今の自分は、本当の自分ではない」と、自己否定しながら
「本当の自分は、今、ここ、にいる!」と、叫んでいたことを。
自分の存在が消されてしまわないよう叫び続ける、健気な自分。
自己嫌悪の心の痛みこそが、自分自身だったんだ。
大嫌いな自分と一緒に、本当の自分はいた。
置いてけぼりにした、健気ちゃん、救済したよ。
20-24-56
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