お金で支配できると思われている屈辱感

ワタシかてな、そんな時間が必要やったんや」
と、母は自分の不倫を全肯定する言葉を放った。

その後は、離婚後、お金がなくて借金した話や
家まで行ったがお金を貸してと言えずにいたら
身内が一万円くれて本当に嬉しかった話など。

母子で池の前に立ち死ぬのを思いとどまったとか
「アンタがおるから大変やった」と言われて
生きる辛さをわたしのせいにされた気分だった。

話が無限ループに入ると聞き流すのも限界になり
この場から立ち去るしかない状況になった。

わたしは唐突に立ち上がった。
「あ!もう保育園のお迎えに行かないと!」

まだ2時なのに。
こどもたちはお昼寝の真っ最中だ。

リビングから逃げ出すわたしを追ってきた母が
玄関のドアノブに手を掛けたわたしの背中に

「アンタ!お金あげよか、5万、5万欲しいやろ!!」
脈絡なく叫んだ。

母の言葉を振り払うようにして玄関を出た瞬間
「こうやってわたしは、飼われていたのか」
そんな思いが屈辱感とともに湧き上がってきた。

自分がお金で支配できる存在だと思われている
屈辱感に、わたしは唇をかんだ。

わたしは、相手がお金を持っているかどうかとか
損得勘定で、自分の行動や物事を決めたりしない。

打算的だったら、結婚20周年を迎えました
ボンビーな年下の男と結婚なんか絶対しないし。

母のお金を当てにして同居したんじゃないのは
夫も同じだった。

わたしは、母への嫌悪感をずっと抱えながらも
将来を考えた時、母と暮らすイメージがあった。

それは世間から刷り込まれた幸せの形だったにせよ
わたしにも親孝行したい気持ちがあってのこと。

母が、家事や孫の世話とかしなくたって、機嫌良く
居てくれてたら、それでわたしはよかったのに。

母はお金を出すことで、わたしに見返りを求めた。

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