母にお金で支配できると思われている屈辱感に
「こうやってわたしは、飼われていたのか」
そんな言葉が心に浮かんだ。
こどもの頃からの息苦しさの表現が、これだった。
親に「飼われていた」だなんて、ちゃんと育てて
もらっておいて何てことを、と批判されるだろうか。
実際、母は、親としての責任を果たしていた。
学校用務員として働きながら、毎日お弁当を入れて
小学4年生頃には、既成のこども服が合わない
早熟なわたしに、スカートなどを作ってくれた。
高校では、部活の道具代や遠征費に
有志参加のスキー旅行費などを出してもらったし
私立短大の学費も出してもらっている。
家計について、ちゃんと親子で話した記憶はない。
母子家庭だからといって、自分のやりたいことを我慢
したことはなく、わたしはやりたいようにしてきた。
自分にお金の苦労がなかったことを、なるほどと
実感したのが、義母に言われたことだった。
学校関係者の知人がいる義母は
既婚男性の学校用務員ならば、その給料で家族4人を養い
2人の子を進学させているのだと言った。
わたしが短大2回生の時に、母は分譲の公団住宅を買った。
車の免許もなく酒もたばこもやらない母と、部活に明け暮れ
制服以外ほぼジャージの高校時代から福祉系短大に進学した
地味な娘が、生活するのに問題ない収入があったということ。
母とのお金の話題ややりとりに、いつも嫌な気持ちになって
でも、出してもらう立場だから仕方がないと思ってきた。
また、その嫌悪感をバネに自立心を強めるほど、わたしは
負けん気も強くないし、精神的にも成熟していなかった。
学生時代はバイト代が足りない時に遊ぶお金をせびったり
働いてからも、親のスネかじりに甘んじていた。
でも、ことあるごとに「ワタシが〜してやった」
などと言ってくる母への嫌悪感が蓄積されてくると
わたしは、歪んだ形で母にやり返すようになった。
大人になってくると、わたしにお金や物を与えることで
母が高揚感を感じているのが、見て取れるようになった。
そして、わたしがどう振る舞えば、母に気持ちよくお金を
使わせることができるかわかるようになり、意図的に物を
買わせて、わたしは心の中で舌を出した。
だけど、相手が親とはいえ、たかるような真似をする自分が
安っぽい人間に成り下がったようで、嫌気がさした。
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