地元は母のホームグラウンド

わたしは母の付録のような存在だった。

「座敷婆のひきだし」にあるような話は
地元では、ほとんど話してこなかった。

母のことを話せなかったのは、地元が
母のホームグラウンドだったこともある。

母の生まれ育ったのは、田舎の小さな村。
どこの誰べえがどんな人か、すぐわかる。

母が昔から変でも、そういう人として
受け入れられていたんだろうなと思う。

母にかすかな違和感を感じていたのは
わたしだけなのかもしれない。

わたしが小学校に入学すると
母子家庭のフィルターはかかったまま
母のホームグラウンドが地固めされた。

町工場で働いていた中卒の母が
人のツテで学校用務員の仕事に就いて
公務員になった。

わたしの中学校は母の勤務先だった。
市内の小中学校に異動するたび
母の顔は広くなった。

おおむね、仕事や人間関係に恵まれて
母の得意な手芸が
学校では喜ばれることも多かった。

娘を私立短大に進学させ、家も買った。
勤続表彰され
定年後の再雇用期間まで勤めあげた。

昭和13年生まれのバツイチ女性の
サクセスストーリーだ。
そう書いて、わたしも立派だと思う。

じゃあ、そんな立派な母親に
ここまで育ててもらっておきながら
何の不足がある?
そう思われるのは当然かもしれない。

長い間、その当たり前に苦しめられた。
素直に感謝できない自分に苦しんできた。

気心を知らない人に
深い悩みを話すのは、勇気がいる。
さらに傷つくリスクもある。

傷つくのは怖いけど
やっぱり、誰かに聞いてもらうことで
風穴があく、そう思う。

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