わたしは母の付録のような存在

「離婚して女手一つで子を育てる女性」の
娘であるわたしは、母の付録のような存在。

幼い頃から周囲にいつも期待されてきたのは
母を手助けすることや安心させることだった。

そんな周囲への反発心を表面化させたのが
赤の他人への八つ当たりだった。

こどもの頃には、わからなかったことが
自分が大人になれば、わかるようになった。

わたしの人生が長くなれば
母へのかすかな違和感も回数が増える。

わたしが社会に出ていろんな大人を知れば
母と比較分析する十分なデータが集まった。

客観的に母を見れるようになったわたしは
母の奇妙さやそばにいる苦しさを話してみるが
周囲はわたしの友人でさえ、母の肩を持つ。

そこに感じたのは、母子家庭というフィルター。

就職して4年たち、1人暮らしを始めようとする
わたしに、小学校からの同級生は
「おばちゃん、独りにしたら可哀そう」と言い

知人の年配女性に、母への悪感情を打ち明ければ
「そうはいうてもお母さん、ずっと働いて育てて
きてくれはったやろ」と諭され

頼みの綱の親しい友人に、母の話をした途端
「おばちゃんは、まさみを心配してはるんよ」
と言葉をかぶせられた。

一触即発の状態だったわたしの感情が爆発した。
「なんで最後まで、わたしの話を聞いてくれへんのよ?!」

怒ったわたしに驚いた友人は、また母を庇った。
それでも訴え続ける強さはわたしに育ってなかった。

頼りない自分を守るために覚えてきた術は
傷つかないように、すぐ見切りをつけること。

世の中をわかった風に斜めに見て、強がって
傷ついても「これくらい平気」と言い聞かせて
「大丈夫、大丈夫」とごまかし続けてきた。

家族のことって
知っている人だから理解してくれるとは限らない。
まったく関係のない人だから、話せることがある。
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