人生の半ばを過ぎて
人生の大きな分岐点が、ケガや病気、事故として
あらわれるのは本当だなあと思います。
わたしは
車の事故、それも人身事故を起こしたことがあります。
大事に至らず、本当に救われました。
わたしの人生再生の出発点だった
障がい者施設で働いていた23歳のわたしが迎えた
人生の分岐点というのは。。。
自動車免許を取って半年、運転に慣れ始めた頃のこと。
わたしは、夕方、1人で車を運転していました。
駅前通りの対向車線は、信号待ちの車が数珠繋ぎでした。
信号のない横断歩道上に停車していた、車と車の隙間から
出てきた小学生と、ぶつかったのです。
・・・大変なことをしてしまった、どうしよう。
今まで経験したことがないくらい、気が動転しました。
そして、不安と恐怖で、心の中がいっぱいになった時
わたしの脳内から、ささやく声が聞こえてきました。
「平気、 平気! どうってことないよ」
「このくらい、大丈夫、大丈夫!」
その声に、わたしの背筋は凍りつきました。
辛いことや悲しいこと、受け入れ難いことがあるたびに
わたしが、つぶやいてきた言葉でした。
人に助けを求められない自分を自分で、守るために
基盤の脆い自分と向き合う痛みを、ごまかすために
自己嫌悪と自己否定と自己不信の沼の中にいるわたしが
事故を起こした自分にかけた言葉は
「平気」「大丈夫」と、強がって
「このくらい」「どうってことない」と、うそぶいて
事故を起こしたことや、人にケガをさせたことを
軽く扱っていました。
脳内からのささやきに、わたしは
・・・このままやり過ごしたら
・・・人間としてダメになる、人として終わってしまう。
そう思いました。
・・・今のままじゃいけない。
・・・自分を変えなくては。
沼から抜け出す方法はわからなかったけど、とにかく
変わろうと決めたのでした。
わたしは、人生再生の分かれ目に立っていました。
車の事故は、人生の軌道修正をうながす警告でした。
後になれば、事故の前兆と思えるような、小さなサインが
何度も出ていたのに、わたしは気づけなかったんです。
人生のあり方や人生の軌道修正が、問われているのだと
本人が気づくまで、あの手この手で警告はくり返されます。
擦り傷ですんだとはいえ、人を傷つける事故を起こして
やっと、正気に戻ったんでしょうね。
自分や他者の、生死や存在の危機を突きつけられて
人は、自分の生き方はこれでいいのかと、姿勢を正して
人生や自分に向き合う構えができるのかなあと思います。
一見、ネガティブに捉えてしまうケガや病気、事故は
ポジティブへの転換点であり
行き詰まっている人生に、停滞している自分自身に
変化や成長をもたらす転機になります。
自分がうまくいっていないことがわかっていても
どう変わりたいのか、わからないこともあります。
でも、先に、「変わる」ことを決めるんです。
人生の分岐点では、今まで歩いてきた道とは違う
新しい道を選択するだけ。
「変わる」と、自分で、決める、こと。
決めれば、かならず何かが、動き始めます。
事故の後、わたしには
正面から向き合ってくれた人がいました。
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