学ぶことは生きること

それまで知らなかった価値観にふれた思い出を
ブログに残しておきます。
 
32歳、独身、乳がんの体験と女性大学で学んだ感想です。
病気は、わたしの第2の大きな人生の分岐点でした。
 
学ぶことは生きること  
 
乳がんの手術のため、入院したのは平成10年の2月。
 
退院後、勉強したいという思いに駆られ、
自宅療養中に女性大学の募集広告を見つけ、
申し込んだのが3月末のことだった。
 
病気、しかも"がん”などというかなり大層な病気になり、
死というものが、わが身に迫ってくることを感じた。
 
「私、今すぐじゃないけど死ぬのかもしれない・・・・・」
と暗くなった。
 
半日ほどしてから、落ち着いてよく考えてみると、死ぬのは、
生まれた時から決まっている。これほど確実なものはない。
 
病気になる前は、そのことを知っていても
「死ぬかもしれない」なんて心配したことはなかった。
 
いつ死ぬかもわからない、がんで死ぬとは限らない。
自分だけが死ぬ訳ではない。
 
当たり前のことに気付くと、
死ぬ心配がとってもアホらしくなり、
 
「悩むの、やーめったと!」
有意義に時間が使えるようになった。
 
病気になろうがなるまいが、生命には限りがある。
そのことを実感すると、その限りある生命を何のために使うのか、
 
かけがえのない尊い生命なら、最高に価値あることに使いたい、
ということに考えが及んだ。
結論は、人のため、社会のために使っていくことだった。
 
また、生きる目的、死ねない理由が大きければ大きいほど、
生への執念は燃え上がる。
 
 
 
女性大学の講義を受けて、一番に感じたのは
日本人の人権意識の低さである。
 
自分自身も含めて感じざるを得なかったことは、
かなりショックだった。
 
なぜ、人を傷つけることに鈍感なのか?
 
自分自身が病気と闘う中で、
気付いたことを通して考えてみた。
 
日本では、耐え忍ぶことは美徳とされてきた。
我慢は強さの象徴である。
 
しかし、その考え方が
 
「自分一人我慢すればまるく収まる」
「それぐらいのこと辛抱しなさい」
「私が我慢してきたんだからあなたも耐えるべきだ」
 
という発想を生む。
 
何かおかしい、間違っていると思っても、どんなに苦しくても、
その思いを率直に表現することより、耐えることを強いられる。
 
また、自分自身も無意識に我慢することを
選択してきたのではないだろうか。
 
我慢を続けていると、感受性は鈍くなる。
痛みや苦しみの感覚もマヒしていく。
 
女性大学で学んだ様々な問題の解決、前進の糸口は、
私達女性が縛られていた美徳から解放され、
素直に思い存分語り合う中にあるように思う。
 
避けないで、厳しい状況をありのまま受け入れ認める、
それは勇気。
 
苦しい状態をただひたすら我慢し続けることが、
本当の強さではない。
 
人間の真の強さとは、最悪の状況の中でも希望を失わず、
よりよく変えていこうと挑戦し続けることである。
 
 
 
最後に、ある本より心に残った一節を紹介させて頂く。
 
『女性こそ、まさに「人間の問題を解決する」方々である。
世界を歩けば歩くほど、そうした感を深くする。
使命を自覚した、心ある女性たちの意識の変革があって、
女性の幸福があり、進歩がある。
それが迂遠のようで、もっとも確実な道なのである。』
 
 
女性大学(行政主催の市民向け講座)を受講して
病気をとおした気づきや学びを、文章で表して
研究レポートとしてまとめる機会に恵まれました。
 
死を意識した自分が感じたことを忘れないように、と
限りある生命なら、最高に価値ある生き方をしよう、と
折にふれ、読み返してきた文章です。
 
でも、、、いよいよ、手放す時が来ました。
あらためて読み直すと
今の自分にしっくりこなくなったことがありました。
 
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