母が買った500円のレースカーテン

わたしが母娘神話に苦しんだように
母も世間の固定観念を真に受けていたのかもしれない。

「実の娘と住めるなんて幸せね」と羨ましがられて
「娘を産んでよかった」と老後の安心を得た気になる。

待ってましたとばかりに2つ返事で二世帯同居をOKした
母は、見知らぬ土地に引っ越してきた。

別々に住んでいたら物理的な距離のせいにしておけた
孤独感を、母は肌身で感じることになってしまった。

さて、話は変わって、母の買い物にまつわる話。

同居後、母がリビングのレースカーテンを買ってきて
くれた。百貨店の特設売り場で見つけた500円の。

中古で買った我が家のリビングには、前の住人いわく
「オーダー品でン十万した」カーテンが掛かっていた。

既製品にはないサイズのカーテンとレースカーテン。
好みの柄じゃないけど、特注する経済的余裕がない。

せめて洗濯をと、黒ずんだレースカーテンを洗濯したら
裂け目ができてしまい、みすぼらしいまま使っていた。

それが、ちゃんとしたレースカーテンが2枚組で500円!
裾をほどいて目一杯伸ばせば窓枠ちょうどの長さになる。

頼んだわけでもないのに母よ、よくぞ見つけてくれた。
「ありがとう」「ちょうどやわ」「嬉しい」と、わたし。

ところが、わたしが本気で喜んで、褒めれば褒めるほど
なぜか母は「安もんやから」と自分の買い物を卑下する。
日頃、目を三角にしている母がしおらしい表情を見せる。

良い買い物したのに?関西人なら自慢するとこやろ?
わたしには母の心の内がよくわからなかった。

ある日の食後には、家族5人で100円の3連ゼリーを
食べていて、特に娘たちが美味しいと喜んでいるそばで
わざわざ母は「安いだけあってあんまりやな」と言う。

場の楽しい雰囲気を台無しにすることを平気で言う母。
共感性や感受性が乏しいのは知っていたけど。

自分に対する褒め言葉を素直に受け取れないのは
自己肯定感が低いせいだと何かで読んだけど。

わたしはそれまで、たとえば自己否定感のような
複雑な感情が母にあるなんて思いもしなかった。

母のネガティブな感情は、表面的な怒りやイライラ
でしか表現されないし、抽象的な話ができない母と
互いの心のひだに触れ合うような会話にはならない。

だから、わたしはいつも一人で想像してしまう。
褒められて感謝されても卑屈になる母の心の内は
母の買い物の金額=自分の価値やったんやろか。

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