わたしの人生に伴走してくれた絵本

『100万回生きたねこ』は自分だった
「この絵本は、わたしの本」だと思った理由が
40代で母娘問題に直面して、やっとわかった。


100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

きっかけは、利用していた配本サービスだった。
毎月、絵本と一緒に届く小冊子に、絵本の紹介や
会員のお便りなどが掲載されていた。

ある月『100万回生きたねこ』が紹介されたが
珍しく記事執筆者に酷評されていた。わたしには
強い思い入れのある絵本。ひどくショックだった。

こどもに不向き、大人の絵本としても内容が浅い
というような書きぶりで、絵本の仕事をしていても
人によって、絵本の解釈は随分違うものだと思った。

次月の小冊子に、『100万回生きたねこ』の
酷評を受けて、匿名で会員さんの感想が掲載された。
わたしは、よくぞ言ってくれたと嬉しかった。

そして、会員さんの体験から紡がれたその文章には
わたしが言葉に出来なかったことが書かれていて
号泣した。積年の胸のつまりが取れた瞬間だった。

その会員さんの文章を残していたので
一部ご紹介します。

どんなに親がかわいがっているつもりでも、愛されていると感じたこともないし、親が泣いても悲しいと感じることもないのです。感情が麻痺した心では、生きていないのと同じ。人生が楽しいと思えない、楽しくないから無いのと同じ。だから、猫の人生は語られない。彼の心が生きていたことは一度もないから。

愛にさまよい、「生きて」いない空虚な生を送ってきた者が、本当に自分の意思で「生きて」いられるようになった時、はじめてこの絵本に出会って泣くことができるようになるのです。だから、愛されて育った人には、永遠にわからない絵本なのだと思います。

10代から40代までわたしの人生に伴走してくれた
初めての出会いから不思議な縁を感じる絵本。
絵本には、人を支える力があると思う。

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