流産直後に実母から食らったダメージ

わたしたち夫婦が3人目のこどもを望んでいると
聞いた母は、明らかに情緒不安定になった。
二世帯同居で気づいた実母の心の闇を感じた。

わたしはその後、1年間に2度の流産を経験した。
その悲しみの中で、母(=座敷婆)の娘をやめよう
と決めた大きな出来事があった。

当時、長女5歳、次女2歳、わたしは44歳。
年齢的に、3人目の妊娠には焦りや不安があった。

3人の子育ては、心身ともにキャパオーバーだと
思っていたけど、それでも3人目が欲しかった。

そして、願いどおり妊娠した時には、嬉しくて
家族や近しい人に早々と報告をした。

ところが、2回めの診察で赤ちゃんの心音が聞けず
3回めの診察では、心音もなく出血し始めていた。

奇しくもその日は、わたしの誕生日。
誕生日の夜、わたしはこどもたちに話をした。
「赤ちゃんはお空に行ってもうママのお腹にいない」。

こどもたちのそばで、座敷婆も話を聞いていたが
この説明が流産を意味すると、座敷婆に理解できて
いたのかどうかもわからない。

誕生日の翌日、夫がこどもたちを保育園に送ってくれ
わたしは流産の処置のため、1人で病院に向かった。

突然、下腹部に異変を感じ、駆け込んだ駅のトイレで
大出血とともに血の塊が出てきて、パニックになった。

病院で診察された時には、ほとんど流れ出ていて
子宮に残っているものを今から出す、と言われた。

そのまま内診台の上で、麻酔もなく、医師の手で
処置されることになった。

身も心も、流産の痛みとショックに打ちのめされて
急な展開に為す術もなく、耐えるだけの時間が過ぎた。

家に帰って、思いっ切り泣きたいと思った。

わたしは家にたどり着くと、座敷婆に気づかれないよう
静かに玄関のドアを開け、玄関右の和室に入った。

雨戸が閉まったままの真っ暗な和室。
灯りもつけずに、座布団を並べて横になった。

「やっと泣ける・・・」

今にもこぼれ落ちそうになっていた涙が、引っ込んだ。
座敷婆の気配がしたのだ。

わたしが寝ている1階和室の真上は、座敷婆の部屋。
さっきまで静かだったのに、ドスドス物音がして
座敷婆が部屋から出てきた。

トイレ? いや、わたしが帰宅したことに気づいた?
座敷婆は階段を下りてくる。

階段を下りると、トイレのドアノブを回す音がした。
一呼吸置いて、トイレのドアが締まる音がした。

ペタペタという足音が、台所に移動する。
フローリングが軋む音。リビングをとおっている。

わたしを探し回っているような動きは
まるで、ホラー映画だ。

リビングを出ると、座敷婆の足が止まった。
玄関で、わたしの靴を見つけたのだ。

座敷婆の足音が、ヒタヒタ、ヒタヒタと
わたしの居る和室に近づいてくる。

わたしは固唾をのんだ。

和室の前で足音が止まる。
ふすまがわずかに開き、暗がりに光が差した。

スーッと30センチほど開くと
逆光で影になった座敷婆の顔が覗き込んだ。

目が合って、わたしを睨みつけたかと思うと
力任せにふすまを全開にし、敷居をまたいだ。

そして、座敷婆が言い放った一言は

「アンタ!!お金返して!!」

わたしの中で、プツンと何かが切れる音がした。

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