昨年から今年にかけて
ひたすらやってきたのは、執着を手放すこと。
古くなった価値観、固定観念、思い込み、思考
行動パターン、人とのつながりなどへの執着。
今の自分にしっくりこなくなったことや
自分の心のモヤモヤや苦しさに気づいては
執着を認めて手放す、をくり返した。
安心基地を持てずに大人になったわたしが
この社会で生きていくために心の支えにしてきた
考え方やモノやヒトへの想いを整理した。
わたしは、大人になっても親になっても、不安で
心細くて生き辛かった。でも、心の支えを握りしめ
抱きしめて、がんばってこれたんだなあ。
長年の心の支えから手を放すのは、心が痛んだけど
なごり惜しい思い出の品の手放し方を、自分で考えて
段階をふみながらお別れして、古い自分を卒業した。
そうして、大きな執着を手放していくと
こまごまとした小さな執着が気になってきた。
目にしたり耳にしたりした何かをきっかけにして
折々に思い出す、数々の出来事があった。
普段は忘れていて、重大とまでは言えない出来事が
くり返し、自分の意識にあがってくることで
執着になっていることに気づいた。
あの時の、あの人の、あの言葉が頭から離れないとか
なんで、わたしはあんなことをしてしまったの?とか
忘れてしまうことができなくなっていた。
その出来事には、ネガティブな感情が貼りついていて
折にふれて思い出すことで、当時の感情がぶり返す。
自分の感情を放置すると、手ごわい執着になる。
怒りとか悲しさとか後悔とか嫉妬とか恥ずかしさとか
過去の感情が、まるで「わたしのことを見て見て!」
と、言わんばかりに顔を出してくる。
これは、置いてけぼりにしてきた感情たちの救済が
求められていると思い、未完了の感情と向き合った。
まず、くり返し思い出す過去の出来事や嫌な思い出を
箇条書きにして書き出した。
そして、ひとつひとつの出来事に対して、できるだけ
詳しく思い出しながら、一人芝居のようにしゃべった。
自分に勇気がなくて、言えなかったことや
タイミングが悪くて、言いそびれたことや
自分が至らな過ぎて、気づかなかったことなど
過去の相手や自分に向かって、まっすぐ気持ちをぶつけて
感情を込めて「ごめんなさい」や「ありがとう」を伝えて
とにかく、自分の口から言葉にして出すことをした。
1回で気の済むこともあれば、回数がかかることもあって
そんな時は自分と対話しながら、視点を変え言葉を変えて
スッキリするまでしゃべり尽くした。
準備するのは、一人きりになれる安心できる場所と時間。
これ、効果あったな、思い出さなくなってきているもん。
心に余白を感じれるようになったわ。
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