頭上から聞こえてきた「だいじょうぶ」

わたしたち家族4人で、夫の祖父宅を訪問中に
「ちょっと💢ワタシは何食べたらいいんや💢」
と、母から携帯がかかってきたことがあった。

「帰られへんから、なんか適当に食べといて」
と、わたしは塩対応で電話を切ってしまった。

後になって思えば、この頃には料理することが
できなくなっていたのではないかと。

娘家族が作った生活の枠で、受動的に依存的に
暮らし始めると、変化がわかりにくいのかも。

認知症の検査を受けたわけではないが
その日は、とつぜん来た。

母の認知症の疑いがクロになった出来事が起こった。
でも、母を病院に連れて行くことが難しい。

受診に至る際に起きる母娘のやりとりと感情の揺れが
家族の心と生活を乱してしまうのが怖かった。

膠着状態を維持してきた家庭のバランスが崩れたら
わたしももう崩れてしまいそう。

早く何とかしなければと思うのに動けない焦燥感と
幼いこどものいる家庭が壊される恐怖感が
わたしを襲ってきた。

母は、わたしと2人きりになると
「ワタシは田舎に帰る」
「近くにアパートを借りてひとりで住む」
と、頻繁に言ってきた。

焦燥感に駆られたわたしが、一歩踏み込んで
「一緒に探しに行こうか」と言っても逆効果。

母がこの家からすんなり出て行ってくれたら
家族の生活は守れるのに。

母と物理的な距離が出来たら
少しはわたしも行動する力が蓄えられるのに。

でも、そんなことは絶対起こらない。
母が自分から家を出ていくなんて考えられない。

だんだん、膠着して変化のない平穏さより
ひたひたと忍び寄ってくる認知症への恐怖が
日毎日毎に上回ってきた。

そして、どうにも埒が明かない絶望感の中で
わたしの気持ちが切り替わった不思議な体験をした。

わたしは、次女を保育園に送り迎えする車の中で
毎日のように、一人泣いていた。

思いあまったある日の夕暮れ、運転しながら
「この先、いったいどうなるの?」
「わたしは、どうすればいいの?」
誰に言うともなく、わたしは問いかけていた。

するとその時、不思議な声が聞こえてきた。
「だいじょうぶ」
わたしの頭上、左斜め上の方から聞こえてきた。

わたしはその声を聞いて
「ああ、きっと、だいじょうぶなんだ」
深い深い安心感に包まれた。

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