母が無事、サービス付き高齢者住宅に入居できて
年明けには母娘それぞれに生活が落ち着き始めた。
母は骨折が治ってしまえば身体機能には問題ない。
田舎育ちの母の身体は丈夫にできていた。
母は1人で入浴できたのだが、施設内で入浴後
浴室から出た母は、自分の居室に戻れなくて
施設の近隣に迷い出てしまったことがあった。
母を探してくれた施設のスタッフさんから
「娘には言わんといてな」と母が言ったと聞かされ
わたしは母に同情する気持ちになった。
失敗を知られたくない恥の感情からなのか
親としてのプライドからなのか、どちらにせよ
母本人が一番ショックを受けただろうと思った。
室内にこもりっきりの母に、刺激を与えるために
ケアマネTさんはデイサービスの利用を勧めてくれた。
Tさんは、母の機嫌を損ねないよう誘いかけて
様子をみながら、通う回数を増やしていった。
外向きの活動に対して、母の抵抗が弱まったのは
母がケアマネTさんに信頼を寄せている現れであり
また、母の認知の力が低下した現れでもあった。
デイサービス以外の外出は精神科や内科への通院。
内科では、血糖値を下げる薬を
精神科では、アルツハイマーの薬を処方してもらった。
わたしは、精神科の初診の際に
母の離婚歴や離婚にまつわるエピソードを話した。
ずっと、母に発達障害の疑いを感じていたことも。
医者は、母(昭和13年生まれ)と同年代の離婚歴のある人の
中に似たエピソードがあり、発達障害の可能性を示唆した。
長年わたしがしてきた推測と違わず、気が収まった。
精神科の定期受診では、母の応答がどんどんぼんやりして
きていることを感じた。
また、施設で血圧が下がり救急搬送されたこともあった。
着実に、心身ともに衰えてきていること、そしてけして
これから良くなる変化がないことを実感していった。
写真スタジオの無料チケットをもらったのを機に
わたしは、家族写真の撮影を思いついた。
母が歩けるうちに、わたしたち家族と会話できるうちにと。
撮影の2日前、母を美容室に連れて行き髪を整えさせた。
長女の小学校の土曜参観後、家族4人で母を迎えに行き
服を着替えさせて、写真スタジオに行った。
その写真スタジオで撮った写真が母の遺影になった。
わたしはその頃から親を看取る時の不安を感じていた。
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