次々とデイサービスを退所させられていった母

入居したサービス付き高齢者住宅に母が慣れて
わたしもやっと落ち着き始めると
次は、わたしの家庭に問題が起きてきた。

起きた問題に家族4人で向き合うようになって
家族がひとつのチームへと成長し始めた。

わたしの意識が、自分の家族に向かうと
母の居室を訪問する頻度は、減っていった。

たまの訪問で、わたしが目にする母の様子や
スタッフやケアマネから報告される話を聞いて
母の認知症の進行や身体的な衰えを感じた。

居室の冷凍庫の冷凍ピザに歯形がついていたり
化粧して、顔半分にだけおしろいを塗ってたり。

わたしが母の入浴を見守った際には
湯船で体のバランスを崩し、足を滑らせかけたり
施設から散歩に行った時には、植え込みに顔から
突っ込み、顔を傷だらけにしてしまったり。

困ったのは、急に失禁するようになったこと。
ダダ漏れしたおしっこの臭いが充満した居室は
消毒しても臭いが消えず、ひどい有り様だった。

施設側は、紙おむつを勧めるのをためらっていた。
プライドを刺激して母を怒らせる心配があった。

でも、こっそり引き出しに紙おむつを入れて置くと
当たり前に母が紙おむつを履くようになって解決。

紙おむつも布のパンツもわからなくなるんだねえ。
パンツ履く認知だけは残っててvv、よかった(-_-;)。

母に幻覚が見えているのもわかった。
母が「畑の小屋の前に、こどもが座っている」
と言い、窓の外を指差して様子を話し始めた。

わたしは、居室から道路を挟んだ先の畑を見るが
こどもなんておらんがな(~_~;)。
ドン引きしながら「へーそー」と聞くわたし。

幻覚には少なからずショックを受けたが
明らかに、以前の母とは様子が違ってきていた。

わたしが居室に訪問したある日には
娘のわたしが見たことのない、満面の笑顔の母に
「アンタ、よう来たなあ↗」と歓迎された。

好々爺のような柔和な顔つき、表情の母だった。
母がまったく別人格になっている瞬間に出くわし
わたしは目が点になった。

しかも、持っている服を全部着込んでいるようで
母の体は、ペンギンのようにまるまるとしている。
足元は、左右違う靴を履いていた。

「ああ、人ってこうやって壊れていくんだ、、、」
母の娘をやめたわたしは、変わっていく母の姿に
静かに驚き、他人事のように受けとめていった。

穏やかな人格や性格に落ち着くなら平和なのに
現実は、不穏な状態がほとんどだろう。

身体的な介護の必要がなく体力もある母は、手芸や
レクレーションを楽しむデイサービスに通っていた。
一番最初に、デイサービスKに通い始めた。

慣れてきたら、通う先をもうひとつ増やした。
母の施設の管理医が開所するデイサービスNを
勧められ、第1号利用者になった母は有難がられた。

通い始めて半年以上は経っていたと思うが
スタッフの肩を押すなどした母の暴力を理由に
デイサービスKを退所させられた。

その後、デイサービスNだけに通っていたところ
わたしは急に、Nの事業所に呼び出された。

Nのケアマネと母のケアマネとともに席に着くと
デイサービスNの施設長(母の施設管理医)から
母の攻撃的な言動を理由に通所を断られた。

周囲に迷惑で利用は困難だと、語気荒く言われて
わたしはいたたまれなかった。

問題を起こしたこどもの母親が、学校や警察に
呼び出されるドラマの一場面が浮かんだ。

出来の悪い、素行の悪い子を持つ母親って
こんな気持ちになるのかしら、と想像した。

デイサービスの利用を次々と断られて
活動の場所、居場所をなくしていく母を想うと
不憫だった。

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