封印されていた流産の悲しみの感情を解放した

子育てが上手くいかなくなっていた。
もうどうしたらいいのかわからなくなって
わたしはやっと、夫に相談した。

自己完結癖のあるわたしは
助けてもらう、協力し合うという発想が
すぐ出てこなかった。

それと、自分の思い描く家庭像に
父親が存在していなかったことに気づいた。

わたしが3歳になる前に離婚しているから
父親の記憶もないし、イメージもない。

理想の父親像や家庭像を描けるような存在も
わたしの周りにはいなかった。

わたしは夫に、理想の父親像を押しつける
ことはなかったけど、期待もしてなかった。

我が家は両親が揃っているのに、無意識に
自分の育った母子家庭を再現していたんだな。

わたしは、母の気分で怒られたことはあっても
納得できる理由で、母に叱られたことがない。

自分には父性的な厳しさや善悪の判断基準が
欠けていることを自覚していた。

人の成長には、母性と父性、両方が必要だと
こどもたちをとおして直面することになった。

この頃、夫は夫で思うところがあって
夫婦2人だけで話をするために有休を取った。

わたしたちは、よく話をする夫婦だったけれど
結婚して約10年間、子育て中心の生活になって
事務連絡が多くなり、対話は減っていた。

この機会に、現在過去未来にわたって話をして
互いの気持ちを出し合い、ズレや行き違いなどを
修正したり、コミュニケーション不足を補った。

そして、話が終わった後、最後の最後の最後に
わたしの口からポロッと出てきたのは
「3人目、欲しかった」という言葉だった。

心の奥底に封印されていた流産の悲しみが
顔をのぞかせた。
改めて夫と、3人目のこどもについて話をした。

男の子が欲しくて名前まで決めていた。
息子が出来たら格闘技をさせたかったという夫。
でも、3人目に執着していたのは、わたしだ。

3人目を作ることに反対した母の思惑どおりの
結果になってしまったことが悔しかった。

諦めきれずに、何歳まで妊娠が可能だろうかと
希望を持てる情報を探し続けていた。

かと思えば

希望を諦めるように自分で自分を諭していた。
すでに、2人姉妹の子育てでお手上げ状態なのに
こども3人を育てる覚悟が持ち切れなかった。

両極に振れる思考を一人でくり返し疲れ果てた。
心身ともに限界を迎え、自分で3人目を諦めた。

そんなところへ気持ちを出せるタイミングが来た。
安心して、凍結させていた流産の悲しみに浸った。

「喪の作業」をして
流産にまつわるすべての感情を解放した。

「喪の作業」という言葉が頭に浮かんだので
ネットで調べたら、心理学用語にありました。
「モーニングワーク」(mourning work )というらしい。

その夜、わたしの身に不思議なことが起こった。

お腹が痛くなって、下腹に黒い塊を感じた。
その重い塊は、わたしの身体の中を竜巻のように
一気に通り抜けて、口から出ていった。

と言っても目に見えたわけじゃない。感覚の話。
霊感とか、ぜーんぜん、わたしにはない。

けど、これは、たぶん、、、
世間的に聞く、聞いてきた表現をするなら
「水子が供養された」のだと受けとめた。

この世に生まれることのなかった
小さな小さな生命、そのエネルギーを体感した。

その生命が宿ったからこそ
流産直後に実母から食らったダメージが強烈で
強烈だったからこそ、わたしは母の娘をやめた

娘をやめたから、母娘の関係性が変化していった。
あのこともこのことも、実はすべて関係していて
いろんなプロセスをへて、今につながっている。

どれもこれも、わたしの人生に欠けてはならない
体験だったんだな。

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