大嫌いな母が亡くなった

母がアルツハイマーと診断されたのが72歳。
病は緩やかに進行していた。

精神科病棟に入院した時、母は74歳。
3ヶ月の投薬治療を終えて車いすで退院した。

入居していた施設(サ高住)に戻ってきた母は
排せつや食事に介護が必要で、会話も歩行も
できなくなって、寝たきりになった。

退院後、半年ほどして
嚥下機能の低下でむせたり咳込んだりしていると
施設から連絡があった。

スタッフがそばにいない夜間に
母が呼吸困難になった場合の懸念を伝えられた。

母を看取る日が近づいていることを感じ始めた。
そして、その日が来た。

2013年11月28日の朝6時半頃に
施設スタッフから電話がかかってきた。

今朝、居室に行くと母の呼吸が止まっていた
とのことで、わたしは施設に駆けつけた。

母の居室に行くと、ベッドの上の母は
苦しんだ様子もなく眠っているようだった。
発見した時はまだ、体が温かったらしい。

施設管理医が死亡診断に来た。
死因は睡眠時の誤嚥性肺炎、あっさりしたもんだ。
続けて、葬儀や火葬に至るまでの段取りを聞いた。

ケアマネTさんに口紅を渡されて
「お母さんに口紅さしてあげて」と言われた。

「え、ちょ、それは、」と拒みたいが、断れなくて
口紅を指先に取り、おずおずと母の薄い唇に塗った。

触れたくないものに触れた、なんとも微妙な感じ。
それがありのままのわたしの反応だった。

母の体に触れる気持ちにもならない。涙も出ない。
悲しさや寂しさなど、特に強い感情はない。

臨終に立ち会わないで済んで、どこかホッとして
かと言って、せいせいしているわけでもない。

亡くなった母を前にして、どう振る舞ったら
自分の気持ちと一致しているのか、わからない。

そこへ看護師さんがやって来た。
以前、わたしの親を看取る時の不安を聞いてくれた
看護師さんだった。

子は親の死を悲しむもの、それが普通で当たり前だと
思ってきたし、それ以外の感情は想像できなかった。

ましてや、大嫌いな親の最期をどう看取ったか
どう感じたかなんて、聞いたことがなかったし。

でも、この看護師さんのおかげで
わたしは母親思いの良い娘の振りをせずに、所在なく
微妙な反応をしながら、ありのままその場にいられた。

そして、この日もまた、この看護師さんに救われた。
看護師さんは確信を込め、でも押しつける風でもなく
わたしに話しかけた。

「〇〇さん(母の名)はね、今日を選ばはったんよ」
「12月に入ったら、忙しくなるし寒くなるし」
「娘さんやご家族のことを思って」
「誰にも負担かけんように、誰もいない時に」
「きっと、今日逝くことにしはったんやと思う」

逝く時も、逝き方も
すべては母の気遣いで、すべてが母の選択であると
おっしゃったのだ。

その言葉は
亡くなった母と、その母を疎んできた娘のわたしに
じんわりと沁みてきた。

死に目に会えなかった遺族の心残りをすくい上げる
思いやりと
最期の迎え方を自分で決めた、人生の主役への称賛
を感じた。

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