同居した母との関係が悪化する中で
親を看取る時の不安は募るばかり。
いつか母を見送る日のことを思い
お葬式って一体誰のためにするんだろう?
と考え始めたわたし。
わたしは「生きている人のためにしよう」
そう、考えるようになった。
その考えを体現した母のお葬式は
わたしファースト、喪主中心、自分勝手で
一般的なお葬式とは違うものになった。
まず、お葬式の日程。
11月28日(木)、亡くなった当日にお通夜で
29日(金)にお葬式、という急なスケジュール。
この日程にした理由は、30日(土)に
娘2人が出る大事な試合があったから。
スポーツ少年団に入っている小学校の友達に
チームのメンバー不足で試合に出れないから
助っ人に来てほしい、と懇願されたのだ。
夢と未来のあるこどもたちのために
どうしても守ってあげたい約束だった。
試合の結果は全国大会に駒を進めることが
できて、本当によかったと思った。
お葬式の日程が決まったので、次は葬儀社選び。
自宅最寄りの葬儀社から、電話で問い合わせた。
わたしは僧侶を呼ばないと決めていた。
ある葬儀社に、わたしがその意向を伝えると
「そんな葬式はあり得ない」
という問答無用のリアクションが返ってきた。
今は、コロナ禍でお葬式のスタイルも多様化した
ようだけど、2013年当時ってこんな反応だった。
この葬儀社は無理だと思って、すぐ電話を切った。
お葬式に僧侶を呼ばないと決めていたのは
母をまったく知らない、縁もゆかりもない僧侶に
来てもらうことに意味を感じなかったから。
母には、信仰する宗教も信心もなかったし
お葬式に特に希望がないことを確認していた。
母が言い遺したのは
「どうせワタシが死んだらアンタの好きなようにされんにゃから」
という言葉だから、むしろ叶えてあげなきゃ(笑)。
だけど、自分の考えや思いを伝えて交渉するのが
苦手なわたし。そのうえ短時間に、次々と決め事を
しなければいけないと思うだけで苦痛だった。
わたしは、葬儀社選びから葬儀社との打ち合わせを
全面的に夫にお願いした。
夫は、友人の勤めている葬儀社に問い合わせてくれ
日程も僧侶なしも可能だったので、即決した。
わたしの思いを理解してくれていた夫が
葬儀社とわたしの間に入り、コーディネーターとして
わたしの希望に沿うよう、交渉、調整してくれた。
おかげで、わたしは
式次第などお葬式の内容を考えることに集中できた。
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