母が亡くなって、12月は習い事をお休みした。
年が明けてから、先生をはじめ生徒さんには
それはそれはご丁寧に、お悔やみを言われた。
わたしはお葬式をへて、中二病を卒業したから
お母さんが亡くなる⇒悲しいに違いない、という
大前提の気遣いや社交辞令にも、耐性がついた。
ひとり娘ならば悲しむもの。そんな固定観念で
自分の感情を決めつけられるような小さな圧力を
他人の言動から感じても、心が揺れなくなった。
相手の言葉は否定せず、わたしは自分の気持ちに
合う言葉を使い「大丈夫でっすー」と軽く答えた。
わたしの反応が、周りの人たちの心を揺らしたのか
と気の毒に感じるくらい、先生と生徒さんたちが
我が親との死別の経験や悲しみを口々に語り出した。
この人たちを相手に、お葬式後に、万歳したとか
ピンク色の服を着て神戸に遊びに行ったとか
そんな刺激の強い話が出来るはずもない。
以前のわたしなら、母に対して、母の死に対して
周りの人とは違う感情を持っている自分に
罪悪感や孤独感を感じただろう。
でも、100組親子がいれば100通り親子関係がある。
比較するのではなく、周りの人とは違う感情を
持っている自分を認めて許せるようになっていた。
わたしが母との同居で苦しかった時、救われたのは
世間話では聞くことのない黒い本音だ。
近所のSさんは、家族4人で住む2DKのマンションに
病身の身内を引き取って同居していたらしい。
長患いして、その同居は長期にわたったとのこと。
経済的、精神的に、多大なストレスが想像できる。
「『早く◯んでくれたらいいのに』って何度思った
ことかしれない」と、2人きりの時に話してくれた。
母との同居に悩むわたしを気にかけてくれ、Sさんは
愚痴を言うでもなく、アドバイスをするでもない。
優しい人のふりとか聞こえの良い綺麗事を言わない。
経験者しかわからない、ありのままを語ってくれた。
ひどいことを思ったっていい。
感じてはいけない感情なんてない。
そう言ってもらったようで、心が救われた。
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