親孝行という言葉に縛られていた

わたしが母娘関係に執着してしまった理由の一つに
人から聞いた至言がある。

「親も愛せないのに、どうして他人を愛することができるのか」
という、平たく言えば親孝行を説いた言葉。

独身の時、30歳を前にしてわたしは
自分だけでなく他人の幸せも祈れる人になりたい
と思うようになって、親孝行しようとした。

母に、優しい言葉をかけたり手紙を書いてみたり
母娘だけで旅行に行ったり、良い娘であろうと
具体的な行動で示す努力をしていた。

独身時代の手帳に、わたしの叶えたい願いとして
母の趣味であるパッチワークのお店を出すことや
二世帯同居することなどと、書いていた。

母を嫌い疎む気持ちとともに
母を喜ばせたい気持ちがあったのは嘘じゃない。

そして、二世帯同居は叶った。
でも、母の喜ぶ現実は一瞬だった。

同居したことで、噴き出した母への怒り
心底、感謝なんてできないのが本当のところだ。

でも「こんな自分では」と自己否定はとまらず
先の至言は、自分にダメ出しする言葉になった。

親孝行できる人間に成長しなければと、葛藤を強め
自分で自分を母娘関係に縛りつけることになった。

母に対して期待を持つのを諦めることにした頃
母がわたしに期待している親孝行も諦めた。

自分が心に留めている言葉で
自分を苦しめていることに気づき始めたから。

親孝行を、社会通念や世間で言われてきたような
型にあてはめて考えるのをやめることにした。

その言葉を自分の心から離して、時を経た今
言葉の捉え方は変化していた。

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