別れた家族には
会いたい気持ちのすれ違いがあった。
今度はわたしの番だ。
40代で、離婚して別れた父に会う決意をした。
事実は小説より奇なりを体験して、わたしは
1,2ヶ月に1度、2時間程、父に会いに行った。
父は、ウィットもあり会話を楽しむことができて
ちゃんと話が噛み合う人だった。
そして、母子家庭で育ち、母似だと言われてきた
わたしの顔形は、父に似ていた。
自分を構成する要素が、母からの遺伝100%じゃない
ってわかるだけで、結構、救われるもんだね(笑)。
父は、父の両親や兄弟など身内の話をして
わたしは、母との結婚生活について聞こうとした。
父の父親は、植木職人をへて、近所の酒蔵で働く百姓。
母親は、家計が苦しい時は衣料品を背負い行商に行く。
父いわくゴンタクレで、怖い母親だったらしい。
行商は、父と母が離婚する前から離婚後もやっていて
幼い孫(兄)を連れて行くなど、かなりのしっかり者。
母から聞いた話(=働き者のキツイ姑)と一致している。
父に、「母は家の中で何してたの?」と聞くと
「あまりガツガツしてない、お嬢さん?」という返答。
生きていくための逞しさがないという意味に受け取った。
父と母は、見合い結婚だった。
父は、「外股で歩く女は嫌やった」と言ったので
母は父好みのタイプの女性ではなかったのだろう。
父は6人兄弟の長男で、一番上の姉のすぐ下が父で
父の下には4人の弟がいた。
結婚当時、末の弟が高校生で生活は苦しかったと言うので
離婚は口減らしのためかと尋ねると、それは否定された。
父は会社から帰ったら、3輪自動車に(昭和やわ〜〜笑)
わたしを乗せて、家の周りを走ったと話してくれた。
でも、自分が可愛がられていたかどうかよりも
わたしが一番知りたかったのは、離婚の真相で
やはり、母について知りたかったんだ。
わたしが
「母には話が通じないから、何も相談しない子になった」
と言った時
父は
「わかるわ」
と答えた。
母といるのが苦しくて、昔のことが知りたいと伝えて
細かく具体的に聞こうとすると、父は口を濁した。
家庭裁判所から離婚調停の呼び出しが来たから
父が母の実家に行ったという話を出して
「母が『戻りたい』と言ったら、まだ戻れたんやろうか?」
と、わたしが問うと
父は顔をゆがめて
「苦しいわあ、ココいうとこ突いてくるなあ」
と言った。
わたしが
「お父さんを恨んだり責めたりしてるんとちゃうよ」
「お父さんも傷ついてるんやと思うよ」
そう言うと
父は
「まさみちゃんの方が上やな」
そう言った。
兄から、昔のことは聞くなと言われていたこともあり
もうこれ以上は聞くことができなかった。
わたしは、父から聞いた話の内容を判断材料に入れて
自分を納得させるしかなかった。
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