離婚の理由を知りたい気持ちにけりをつける

一方的で話が噛み合わない、気持ちが通じない母。
理解できない母の謎解きをし続けてきた、わたし。

「母は、なぜ、こうなのか?」
ずっと、その背景や原因を突き止めようとしてきた。

背景や原因がわからないならば、せめて納得したい。
自分が納得するまで、追究する自分を止められない

わたしの生まれつきの気質も影響しているのか
自分の感性や感覚で集めた情報をもとに
想像や推測を始めてしまう。

これは、かなり疲れる。執着になる。
気がつけば、この謎解きグセが他人にも発動してしまい
やめられなくて心が縛られることもある。

自分のルーツを知る、別れた父との時間
両親の離婚の真相を知りたかったが、父は口をつぐんだ。

伯母から聞いた母のこども時代の話と、父から聞いた話を
合わせて、わたしは自分で答えを出そうとした。

母は昭和13年生まれ、6人兄弟の下から2番目の三女だ。
砥石山で働いていた父親が、48歳で亡くなったのは
母が10歳頃で、母と年の離れた兄姉は働いていた。

次女である伯母は、16歳で家を出て苦労をしたというが
母は中学卒業後、花嫁学校的な?専門学校みたいなところで
裁縫などを習っていたようだ。

お嬢さん育ちでもない、裕福でもない家の生まれだけれど
順番的に母は、家計を支える働き手にならなかったのだろう。
世間に揉まれるほどは働いていないようだった。

伯母は「〇〇子(わたしの母)は犬も猫もこどもも嫌い。我儘で
下の子で甘やかされたかも」と言い、母を嫌っていた。伯母は
自分は勉強ができなくて母は出来た方だったとも。意外。。。

また、同居してから母のことを相談した年配の知人からは
「下から二番めのこどもが、一番陽の当たらないポジションで
兄弟姉妹が多いと愛情不足になる」と言われた。なるほど。

母の下には、19歳で亡くなった6つ違いの三男がいる。
二世帯同居で気づいた実母の心の闇や卑屈さが、母の幼少期に
出来ていたとしたら、この病弱な弟の存在があるかもしれない。

まあそうは言っても、昭和初期に兄弟が多いのは珍しくないし。
伯母いわく母親は夜なべして草履を作ってくれた、ごく普通の人。
わたしの記憶の中でも、寡黙で優しいおばあちゃんだった。

そして、わたしの両親は、母24歳、父29歳の時に結婚。
わたしが、母から結婚に至る経過について聞いていたのは
「あの家は最初からおかしかった」とだけ(-_-;)。

父から聞いた結婚にまつわる話では
父は、結婚そのものにあんまり前向きではなかったが
たまたま作業中に、見合いをすすめて来た人がいて
なんとなくその気になって、話に乗った感じだった。

話の様子から、見合いをすすめたのは親しくない人のようで
育ちや性格や相性など、まったく考慮されることなく
余ってるもん同士をくっつけただけじゃね?と思った。

同居は当然、長男の嫁というだけで大変な当時に、キツい姑で
兄弟も多く生活も苦しく、プライベート空間のない田舎の家に
嫁いできたのは、実家に財力もなく美人でもなく愛嬌もなくて
したたかさもないのに気だけ強い、母だ。

嫁家での生活は厳しかったと単純に想像するが、年子をもうけた。
父いわく、1人目の産後早々と夜の営みに行って、母親(姑)に
咎められたらしい。姑は夫婦生活にも口を出していたのか。

離婚後、会いたい気持ちのすれ違いがあり、よくよく考えてみると
元嫁宅に夜這いに来た父には、修復の余地があったのではないか。

自分のルーツを知る、別れた父との時間を持って知ったのは
父は話し方も穏やかで、キャッチボールで会話ができる人だった。
一方的に、嫁の籍を抜くようなことをするとは思えなかった。

嫁が里帰りしている間に、勝手に離婚の届け出をしたのは
やはり、父の両親のどちらか、たぶん母親主導ではないか。
父は、ゴンタクレの怖い母親には逆らえなかったのかな。

父は、母と別れた後、再婚をしていなかった。
約40年前の離婚の真相を問われ、「苦しいわ」と言った父は
ずっと罪悪感を持ち続けてきたのかもしれない。

こうして、母の離婚の理由は謎のまま
自分の想像や推測で自分を納得させ、心の中でけりをつけた。

人生には
わからないことをわからないまま受け入れる力も
必要なんだな。

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