どん詰まりになった母娘の前に現れた救世主の
I さんとの思い出、Iさんの存在そのものが
母の記憶から消えていくのを見るのは辛かった。
Iさんが亡くなって2ヶ月後のある日のこと
母は転んで足を骨折した。
わたしが仕事の日の朝、母から電話があった。
昨晩、風呂上がりに浴室を出て滑ったと言う。
母は幼子のように「足が痛い」と訴えたが
わたしは様子を見に行くことができない。
仕事から帰宅後は保育園の迎えに行かねばならず
母のアパートに着くのは夜の8時過ぎだと伝えた。
仕事の合間に携帯を見ると、母から十数件の着歴。
心細い声で留守電も入っていた。
痛くて何度も電話をかけてきたのかと思うと哀れで
わたしは仕事が終わるとすぐ母に電話した。
すると母は、「何のこと?」と言うではないか。
電話をかけ続けたことを忘れている母に
わたしはショックを受けた。
次の日、わたしは母を連れて整形外科を受診した。
ふくらはぎの骨を骨折していて、ギプスをはめた。
骨折していると説明しても忘れてしまうんだから
家で安静になんかしていないだろう。
母のアパ―トは2階。屋根なしの鉄筋だけでできた
階段の上り下りは危険で、転倒リスクが大きい。
ピンチだけど、チャンスでもあった。
これを機に、母を施設へ入居させようと思った。
わたし一人の選択に、母の人生が委ねられた。
施設選びに死ぬまでの人生の幸不幸が左右される
と思っていた。
小豆バーが食べたくなる季節にIさんと見学した
サービス付き高齢者住宅に連絡をしてみた。
アットホームな雰囲気が母に合うと思ったから
わたしは母を、そのサ高住に入れたかった。
施設責任者とわたしは互いの個人的な話もしていて。
その責任者のお母さんが認知症で、お母さんと同居
していた実兄が早くに亡くなられた。心労だ。
実兄の会社に乱れた服装のお母さんが突然来た話には
わたしも息が詰まった。認知症患者を介護する家族の
リアルは想像以上で。。。
責任者ご自身の体験や思いを聞いていたから
わたしは、そのサ高住の介護に信頼と安心を感じた。
見学した施設の中で、ここを母の終の棲家と決めた。
だけど、婉曲に入居を断られた。
責任者は母の攻撃的な言動を見て、他の入居者への
悪影響を懸念された。その気持ちは痛いほどわかる。
わかる、わかるけど、でも、でも、、、。
諦めきれないわたしの前にまた、神が現われた。
敏腕ケアマネジャーのTさん。
Tさんは、母のショートステイを提案してくれた。
ショートステイ期間に、母の精神状態が落ち着けば
入居も可能だろうし、施設のあり方なども踏まえて
Tさんは責任者を説得してくれた。
結果、3週間後に正式入居が叶うことになった。
諦めなかった自分のことをよくやったと褒めたい。
そして何より、わたしたち母娘に縁してくださった
施設関係者の方々には感謝してもしきれない。
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