どん詰まりになった母娘の前に現れた救世主

65歳まで働いた母が68歳の時に、二世帯同居した。
母がアルツハイマーと診断されたのは72歳だった。

生まれ育った田舎を離れ知らない土地に引っ越した
当時の母の様子を振り返ってみると

家の近くで道に迷ったことが一度あったが
引っ越して数日のことで、誰もがやりそうなことだし
ガスコンロや水道の蛇口の締め忘れ、探しものとかも
あったけど、まあ加齢のせいにできる範囲と思った。

盆暮れには、我が家から片道3時間ほどかかる田舎に
電車を乗り継いで帰っていたし、駅近の百貨店にも
買い物に行っていた。1人で外出することも多かった。

母は、40代ですでに同じことをくり返し言う人
「昔からおかしいし、認知症になってもわからんわ」
と、わたしは夫にぼやいていた。

それが、同居生活が1年2年と経つうちに
母に気になる言動が見られるようになった。

母が、中学の同級生たちと会う約束をした時に
初めての待ち合わせ場所に合流できなかったことがある。
ガラケーは持っていたし、最終的には出会えたのだけど
わたしは母の友達から、母がひどく怒っていたと聞いた。

また、外出の際、さっさと家を出て行ったかと思ったら
すぐ戻ってきて、出ては戻る、出ては戻るをくり返して
強迫神経症のような様子を見たこともあった。

同居生活が3年を迎える頃には
「え?ほんとに?」と思うことが起こるようになった。

印象を残した筈の再会した息子の思い出が消えていた
認知症の始まりを覚悟した出来事が起こった。

この頃には、わたしも
見捨てられる不安と孤独の恐怖を抱えていた母のことが
わかり始めていたが
わたしは、老いていく母より未来のある我が子を選んだ。

3年の同居生活で、母娘関係は行くところまで行った。
母を病院に連れて行く手が打てなくなっていた。

母は、わたしに強い猜疑心を持つようになっていたし
わたしは、心が疲弊しきって視野が狭まっていた。

人に相談するとか協力してもらうという力も知恵も
湧いてこなかった。

不安を怒りで爆発させて、さらに不安を拡大させる母と
息を呑みながら無事一日が終わるのを待つだけのわたし。

そんな膠着状態になってしまったわたしたち母娘の前に
突如、救世主のように現れたのが、Iさんだった。

知り合った経緯はもう忘れてしまったのだけど
Iさんは、うちから徒歩3分のハイツに住んでいて
母と親しくしてくれるようになった。

母の部屋に遊びに来てくれたIさんは
家で作ったお惣菜を持ってきて、母に分けてくれたり
鍋焼きうどんを持ってきて、台所で作ったりして
母の部屋で一緒に昼食を食べた。

Iさんは、朗らかでよく笑う、元気な86歳。
戸を開け放した部屋から大きな声が聞こえてきた。

Iさんは、母が同居の不満や愚痴などのネガティブを
垂れ流しても、母をたしなめたりせず話を聞いていた。

母が「娘がワタシのお金を当てにする」などと言えば
「たくさん年金を貰ってるから、お金が出せるアンタは
大したもんよ」と、ポジティブ返しするIさん。

Iさん自身は年金が少なく、娘夫婦の厄介になる生活で
お世辞や嫌味でもなく、本当に母のことを褒めていた。

他にも、母の作ったパッチワークの小物などを見て
母を認めて母の自己肯定感をあげてくれた。

母には、世話好きで優しい母親タイプがよかったんだ。
Iさんがいると、母は笑顔になった。

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