母の存在に影響されて仕事を選んでいたことに気づいた

物と向き合って母娘の癒着を剥がすような
時間ができたからか、思わぬ気づきを得た。

わたしが、人に関わる仕事をしてきた動機に
母への思いが隠れていたことを自覚した。

人に関わる仕事を選んできたのは
「わたしは人の成長や変化に喜びを感じるから」
だと思っていたが、それだけではなかったのだ。

母は同じことをくり返し言う人で、こども心に
母には何らかの障がいがあるのではないかと
わたしはかすかな違和感を持っていた。

わたしは、そんな母を理解するために、また
障がいがあっても心は通い合うという証拠が欲しくて
無意識に、福祉や教育関連の仕事を選んでいたんだ。

実際にわたしは、仕事で出会った障がい者や
こどもたちと心を通わせる経験を積んできた。

母がアルツハイマーと診断された当時
わたしは幼児教室の講師として働いていた。

わたしは、幼児の年齢別グループレッスンの他に
マンツーマンで、自閉症のRちゃんを担当していた。

乳児の時に通室していたRちゃんは
臨界期を超えた特別支援学校高等部の2年生。
お母さんの熱意で再入室された稀なケースだった。

作業所やスイミングスクール、保育所で働いてきた
わたしの職歴が一番生かされたのが、この時だった。

Rちゃんが学校卒業後、作業所等で働くことを見据え
元のプログラムに工夫をしてレッスン内容を考えた。

週1回50分のレッスンが1年くらい続いただろうか。
Rちゃんに期待以上の成果が出た。

病院での定期的な発達検査で
長年変化のなかった発達年齢が引き上がっていたり

発語が増えて、食べたいお弁当のメニューを
自分から言えるようになったり

支援学校の卒業式で
落ち着いた所作で卒業証書を受け取ったり、など。

レッスンに込めたわたしの思いが
Rちゃんにちゃんと伝わっていたことを実感できて
ただただ嬉しかった。

こうしてわたしは、障がい児者と関わりながら
「必ず心は通い合い、人は成長する」証拠を集めて
それを根拠に、母の成長や変化を期待してきた。

ところが、アルツハイマーが進行した母には
もう成長方向の未来は、ない。

母に当てはまらない証拠集めは意味がなく
わたしがこの仕事を続ける目的がなくなってしまった。

そして同時に

自分の職業選択が、自分のやりたい気持ち純度100%
ではなく、実は母の存在に影響されて選択していたの
だとわかり、ショックを受けた。

すると、わたしの幼児教室講師の仕事への
意欲や情熱は、一瞬で消え去り冷めてしまった。

自分の天職と思い、ずっと続けたい仕事だったのに
一瞬で仕事を辞めることを決めた。

その仕事に就くよう母に言われたわけではない。
母を思って、勝手に、わたしが選んだ仕事。

わたしの無意識からも、母を取り除きたい。

仕事への意欲や情熱に隠れていた母への思いは
仕事ごと手放した。

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