わたしの表情ひとつで
こんなにもこどもを不安定な気持ちにさせるのか。
母であるわたしがこどもに与える影響力を知った。
わたしは、母の娘をやめたというのに
それでも実母という存在に翻弄され続けた。
わたしには、物理的な距離がもっと必要だった。
我が家から車で10分もかからない母の施設に
わたしは行かなくなった。母に関する諸連絡は
ケアマネさんからのたまの電話だけになった。
わたしに搭載されていた
母との接触許容量を超えてしまったんだ。
母と同居しないで、離れて住んでいれば
母娘関係の体裁は保てたかもしれない。
たまに会ったり電話したり、嫌な思いをしつつ
一生分の接触許容量を小分けにして使っていれば
母がしぬまで持ったかもしれない。
だけどわたしは、あの母につき合うための
一生分のエネルギーを、限度量を
同居生活で、もう使い果たしてしまった。
「・・・わたし、もう無理かも・・・」
と思った時にはすでに限界を超えているんだよね。
でも、母の顔を見なければ
母のことを忘れてしまえる、というわけでもない。
わたしは、母の一人暮らしのアパートを引き払って
我が家に戻ってきた、母の物の整理をしていた。
服飾雑貨や趣味のパッチワークの布や道具など
おびただしい物は無言で母の存在を感じさせる。
「ちょっとアンタ、ワタシの〇〇持ってきて」
なんて、母に言われそうで捨てられなかった物も
認知症の進行と並行して、徐々に処分していった。
着る物や持ち物へのこだわりもなくなった母。
必要なのは、その季節の、洗濯や着脱が簡単な服。
趣味への興味も、たぶんやれる能力もなくなった。
もう、母が大事にしていた物を捨てたところで
記憶のなくなった母にはバレないとわかっていても
処分する時には、心が揺れた。
病気の進行は緩やかでもアルツハイマーは治らない。
母の物を処分する時、母の人生の可能性がどんどん
先細っていくことを思った。
母の物をとおして浮かんでくる出来事や母の口癖に
その当時の自分の感情を思い起こした。
物と向き合い過去をなぞるのは、地味な作業だけれど
母娘の癒着を剥がしていくような効果があったと思う。
そして、ある日
わたしが幼児教室で働いていた本当の理由に気づいた。
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