母のお通夜とお葬式で読経したのは、喪主のわたし。
読経するため、わたしが祭壇の前に着席すると、、、
司会進行は葬儀社のスタッフがしてくれると
夫から聞いてたのに、スタッフの動く気配がない。
無言で始めるのはどうかと思い、わたしは席から立ち
「本日は・・・只今より・・・」と、司会役もやって
お葬式は、セルフサービスな感じで進行していった。
一般的な式次第と違ったところは、喪主挨拶の前に
わたしの娘たちがばあばへのお別れの手紙を読んだ。
喪主挨拶では、会葬者への感謝の言葉をメインにした。
母への複雑な感情を、簡単には表現できなかった。
喪主挨拶で、同居生活の暮らしぶりや母の様子などを
差し障りなく話すことが、嘘くさく感じられた。
わたしが会葬者に伝えたいのは、母の最期を見送るまで
わたしたち母娘を見守ってくれた感謝の思いだったから
「生きている人たちのためのお葬式」 にするために
感謝の思いを、改まった席で伝えることにした。
母を見送るために、足を運んでくださった方が
来てよかったと思える時間にしようと思った。
会葬してくれたのは、9人で
母の次姉(わたしをディスった伯母)
母の長兄の娘である姪夫婦とこどもたち
母の次兄の奥さん
夫の両親
保育園でできた毒親育ちのママ友
わたしは一人ずつ、名前を呼びかけて顔を見て
その人が、わたしや母にしてくれたことを具体的に
あげて、万感の思いを込めて、お礼を言った。
たとえば
「大変やけど頑張りや」って言ってくれたこと
一人暮らしの母のアパートを訪ねてくれたこと
盆暮れに田舎に帰った母の話を聞いてくれたこと
別れた父に会うことをすすめてくれたこと
わたしの愚痴を否定せずに聞いてくれたこと
してもらった一つ一つにありがとうを言うことで
平凡な言葉が持っている励ましの力や
一時的でも逃げる場所が在ることのありがたさ
綺麗ごとや正論にはない温もりのある本音
などに、自分が支えられていたことに気づいた。
感謝は気づきを促し、気づきは感謝を呼び起こす。
わたしは、お葬式で「こうしたい」と思ったことを
やり遂げることができて、とても満ち足りていた。
僧侶を呼ばなかったことについては、誰からも何も
言われてない。しれーっと、わたしが読経したから
僧侶がいないこと、気づかなかったんやろか(笑)。
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