わたしは、母への嫌悪感を抱えたまま
母との最期のお別れの時を迎えていた。
棺にお花を入れていると、思いがけず
母への感謝の思いがわき起こってきた。
母が亡くなる前からの話だけど
お金や物を与えることで高揚感を感じる母から
お金で支配できると思われている屈辱感を
わたしは抱いていた。
わたしが就職して稼ぐようになってからは
母娘のパワーバランスと恩の着せ方が変化し始めた。
30年勤め上げた学校用務員の退職金で保険に入った
母は、わたしに死亡保険金をちらつかせていた。
「ワタシがしんだら、ワタシの保険金は全部
アンタのもんになるんやから」そう言われ続けた。
母の意図がよくわからず、わたしは辟易した。
そして、いよいよ母が亡くなって
わたしが母の遺産を相続することが目前となった。
綺麗ごとを言うけれど
母の保険金を受け取るのが、嫌で仕方なかった。
「そんなもん要らん」と本気で思っていた。
お金を使って、恩を着せて見返りを求めた母に
とことん、わたしは嫌気がさしていた。
わたしが欲しかったのは、お金や物じゃない。
対話やスキンシップ、心のつながりを求めていた。
母が亡くなっても嫌悪感を抱えていたわたしは
母のお金を拒否し続けた。
それが
喪主挨拶で、感謝の思いを会葬者に伝えてから
感謝が気づきを促し、気づきが感謝を呼び起こしたのか
胸の奥から、母への感謝の気持ちが込み上げてきた。
退職金は、いわば母の人生の総決算。
生きていくために、わたしを育てるために、働いた。
働いたお金が、母なりの愛であることは間違いない。
わたしが欲しかった愛のカタチではなかったけれど
母の愛を受け取ろうという気持ちに変わっていた。
わたしたち母娘は
互いの欲しいものと与えるものがかみ合わなかった。
わたしがどんなに望んだところで
母は、お金や物でしか、愛を表現できなかったのだ。
そんな母の愛を認める気持ちに、やっとなれた。
お金に対して嫌悪感しか持てなかったわたしの
お金のメンタルブロックが外れた瞬間でもあった。
わたしは、棺の中の母に「ありがとう」と言って
母の愛を受け取った。
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