納骨を済ませて責任を果たし終えた

母が亡くなってから1年ほどは
母の居た施設に近づくことができなかった。

故人を思い出させる場所やものを避けるのは
悲嘆反応(グリーフ)のひとつだと知った。

理解しやすい死別の悲しさや寂しさではない
周りの人と違う感情を持っていたわたしも
喪失体験からの回復のプロセスを歩んでいた。

一周忌は、母の地元で、親戚を呼んで行った。
その時まだ、母の遺骨は
我が家のクローゼットにしまい込んだまま。

自分のそばに、遺骨を置いておきたい気持ちは
全くなかったから、早く納骨したかったけれど。

先祖の墓地は、その土地に住所のある人しか利用
できず、母は入れなかった。ちょうど新設される
墓園の募集があって、お墓を買うことにした。

母の死後2年以上経ってお墓が建ち、納骨の日に
合わせて三回忌法要をした。やっと納骨が終わり
わたしは責任を果たし終えた気持ちになった。

ちなみに、自分なら散骨がいいと思っている。

三回忌以降の法要は、する気がなかったが
母が買ってくれた食洗機がお役御免になって
七回忌法要にあたる年だと思い出した。

母のアパートの1階に住んでいたYさんのことが
頭に浮かんだ。七回忌だからと、Yさんを誘って
お茶でもしようと思った。儀式ではなく。

今の土地で、ただ一人母のことをしゃべれる人
だったから。ところが、すでに亡くなっていて
時の流れを感じて寂しくなった。

母が亡くなって寂しく思ったことはないが
母の思い出が時々、フラッシュするように
平凡な日常に差し込んでくることがあった。

それは、当時と今との違いを感じる瞬間でもあり
自分の心の変化や母への気持ちの変化に気づいた。

わたしと母には
時間という距離も必要だったんだ。

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