わたしと母には
時間という距離も必要だったんだと思う。
母の七回忌法要の頃になると
嫌で嫌で仕方なかった母の良い面に
意識を向けられるようになった。
そのきっかけになったとも言えるのが
賃貸にしていた実家問題の難関突破で
家賃滞納した入居者が退去してまもなく
2020年2月に、実家が売れたという件。
実家問題には、対照的な女性2人が出てくる。
1人は、お金にルーズで依存的な50代女性。
パラサイトの恐怖を感じたシングルマザーで
身内がらみのマンションに転居していった。
もう1人が、実家の買い主の70代女性。
飲食業をリタイアしたシニア夫婦の妻で
妻の資金で妻の名義で、実家を買ってくれた。
賃貸にしてケチのついた実家だった。でも
母名義で買った家が、女性名義で買われたのは
家の誇りを取り戻したような感覚、というのか。
実家のマンションを買う時、連帯保証人が不要
だったから買うことに決めたと、母は言った。
保証人さえ、身内の世話になる気がなかった。
不倫相手にも溺れたり、依存していなかったし
自立した女性だったのだと、母を見直した。
そう言えば
高校生の時、森鴎外の『舞姫』を 読んだわたしが
「出世を捨てられへんかったんやし、仕方ないやん」
と思ったのも、母の影響かもしれない。
わたしは、母の悪影響ばかりをあげつらってきたが
母から与えられたのは、マイナスだけではなかった。
母と娘一人の家庭で、立てる男がいなかったせいか
男尊女卑の昭和時代に育ったわりに、わたしは
性別による固定観念が少なかったと思う。
わたしには、男性への過度な期待がなかったし
妻はこうあるべき、というお手本もなかったから
既成概念にとらわれないで、家庭を築いてきた。
母を認めることは、自分を認めることだった。
わたしはずっと、母の全てを拒絶していたけれど
母の良い影響も悪い影響も、まるごと受け容れた。
表だけ、裏だけ、のコインはない。
見る人の視点で
表になったり裏になったりする。
人もコインと同じで
見る角度を変えれば、全体が見えるのに
近づき過ぎると片面しか見えなくなる。
裏と表、ポジティブとネガティブ
両面はいつも背中合わせ。
そう思えるまで、ずいぶん時間がかかった。
近寄り過ぎ、至近距離に居過ぎたんだろうね。。。
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