施設に入った伯母に、昨年会いに行きました。
卵とたどん(炭団)の記事に出てくる
赤ちゃんのわたしをディスった伯母です。
母の姉で、昭和7年生まれの86歳の伯母は
6人兄弟の上から3番目、中学卒業後すぐ
社会に出ました。
わたしが小学生の頃には
鉄道会社で車内販売や清掃の仕事をしていて
定年まで勤めあげました。
「まさみちゃん、腹立つこと言われてもなあ
口だけハイハイ言うといたらいいねん、はんっ!」
世間の荒波にもまれて身につけた処世術を
タバコでしわがれた声で、聞かされました。
こどものいない伯母は、飼っていた猫に
鯛の一番美味しいところを食べさせてました。
内縁の夫から、重い病気になった親戚のこどもの
治療費を無心され続け、内縁関係は終りました。
伯母からお年玉や進学祝いなどが届いて
わたしがお礼の電話をかけると
「おばちゃんが年取ったらまさみちゃん(老後の世話を)頼むわな」
と言われて、そんな下心があるのかと思い
また、人におべんちゃらを言ったその口で
その人の悪口を言う姿を見て「大人って嫌だな」
と、こどものわたしは思っていました。
伯母は退職後、実家に戻ってからいろいろあった
ものの、地元での生活が長くなるにつれて
嫌なことを言わなくなりました。
施設に行った時も、伯母の口から出てきたのは
訪問したわたしたち夫婦への感謝と労いの言葉。
わたしたちの娘への期待や応援の言葉。
伯母が自分の人生を振り返って出てくる言葉も
自分が必死で生きてきたことを肯定する言葉で
本当はこんな人だったんだと驚きました。
わたしが伯母に嫌悪感を感じたのは
都会で女一人生きていくのに足元をすくわれない
ように立ち回る、鎧をつけた姿だったのか。
長い人生、時には拗ねたり僻んだり、毒を吐いたり
してしまうことがある。誰かや何かを責めてないと
自分を保っていられない時だってある。
伯母は、そうやって必死で生きてきた自分を認めて
許しているんだなあと思いました。だから、高齢で
身体が弱っても、今を生きている感じがしました。
わたしは「お世話になった伯母に会いに行かなければ」
と感じて、その義務感が会いに行けてない事実を重く
させていました。
伯母とちゃんと話ができる時に会いに行けてよかった。
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