昨年、施設に入所した伯母に会いに行ってきました。
母の姉は昭和7年生まれの86歳です。
この伯母、卵とたどん(炭団)の記事に出てくる
赤ちゃんのわたしをディスったおばちゃんです。
伯母は6人兄弟の上から3番目。
中学を卒業してすぐ社会に出ています。
わたしが小学生の頃には
鉄道会社で車内販売や清掃の仕事をしていて
定年まで勤めあげました。
こどもはいなくて、飼っていた猫に
鯛の一番美味しいところを食べさせてました。
内縁の夫の親戚から
重い病気のこどもの治療費を無心され続け
内縁関係は終りました。
16歳から人生の荒波にもまれて
生きてきたおばちゃん。
タバコを吸ってしわがれた声で
「まさみちゃん、腹立つこと言われてもなあ
口だけハイハイ言うといたらいいねん、はんっ!」
などと、世間の垢にまみれながら身につけた
処世術を聞かされました。
おばちゃんからお年玉や進学祝いなどが届き
お礼の電話を掛けると
「おばちゃんが年取ったら、まさみちゃん(老後の世話を)頼むわな」
と言われました。
そんな下心で物やお金をくれるのか・・・。
また、人におべんちゃらを言ったその口で
その人の陰口を言う姿を見聞きしました。
「大人って嫌だな」そう思ってました。
おばちゃんは定年退職して実家に戻り
いろいろあったものの
地元での生活が長くなるにつれ
嫌なことを言わなくなりました。
会いに行った時も
おばちゃんの口から出てきたのは
遠いところを訪ねてくれたことに対して
わたしたち夫婦へ感謝と労いの言葉。
わたしの娘たちの将来を
期待する言葉や応援する言葉。
おばちゃんが
自分の過去を振り返って出てくる言葉は
自分が必死で生きてきたことを
肯定する言葉でした。
本当はこんな人だったんだ。
わたしが嫌悪感を感じたのは
都会で女1人で生きていくために
足元をすくわれないよう立ち回る
鎧をつけた姿だったのか。
長い人生、時には
毒を吐いたり、拗ねたり、僻んだりしてしまう。
誰かや何かを責めないと
自分を保っていられない時もある。
おばちゃんは
そうやって生きてきた自分を認め
許しているんだなあと思いました。
だから、高齢で身体が弱っても
今を生きている感じがしました。
お世話になった伯母だから
行かなければならないと感じて
その義務感が
会いに行ってないという事実を
重くさせていましたが
おばちゃんとちゃんと話ができる時に
会いに行けてよかった。
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