わたしと母には 時間という距離も必要だったんだと思う。 母の七回忌法要の頃になると 嫌で嫌で仕方なかった母の良い面に 意識を向けられるようになった。 そのきっかけになったとも言えるのが 賃貸にしていた実家問題の難関突破で…
続きを読む納骨を済ませて責任を果たし終えた
母が亡くなってから1年ほどは 母の居た施設に近づくことができなかった。 故人を思い出させる場所やものを避けるのは 悲嘆反応(グリーフ)のひとつだと知った。 理解しやすい死別の悲しさや寂しさではない 周りの人と違う感情を持…
続きを読む自分自身にも隠し続けてきた母への思い
母が亡くなって3ヶ月くらいたった頃 夫婦で母の思い出話をしながら 相続や名義変更などの手続きをしていた。 あれほど悩み苦しんだ母との思い出は わたしをいじるネタになっていて 夫がわたしをおちょくってきた。 「なんやかんや…
続きを読むこどもの頃からずっと、母が嫌だった
封印されていた流産の悲しみの感情を解放した その日、母娘関係についても夫と話した。 「こどもの時からずっと、母が嫌だった」 わたしはポツッと口にした。 物心つく頃にはすでに母のことが嫌だったけど そんなことは誰にも言わな…
続きを読む周りの人と違う感情を持っている自分を許した
母が亡くなって、12月は習い事をお休みした。 年が明けてから、先生をはじめ生徒さんには それはそれはご丁寧に、お悔やみを言われた。 わたしはお葬式をへて、中二病を卒業したから お母さんが亡くなる⇒悲しいに違いない、という…
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