こどもたちを守らなければ!と思った時に
わたしが一番腹が立ったのは
「テレビぐらい買うてやったらいいのに!!」
と、座敷婆に言われることだった。
このセリフを座敷婆語翻訳機にかけると
「テレビぐらい(安いもんや)買うてやったらいいのに
(アンタら、買うてやる金もないんか)!!」
「(ワタシは、お金持ってるで)」
「(ワタシが、買うたろか)」
という(ニュアンス)を含んでいて
実際、座敷婆が(よく口に出す言葉)だ。
わたしたち夫婦が新しいテレビを買わなかったのは
こどもに積極的にテレビを見せたくなかったから。
と言っても、教育方針と呼ぶほどのものではない。
引っ越す前から殆んどテレビは観ていなかったから
必要のないテレビを買わない選択をしただけだが
夫婦で決めたことにケチをつけられるのは不愉快だ。
しかもそこに、お金があるかないかという
価値基準を差し挟まれるのが、超絶嫌だった。
親である、私(座敷婆)は、お金がある。
子である、娘(わたし)は、お金がない。
座敷婆は自分の存在価値をお金で示してくる。
この構図が、わたしはたまらなく嫌だった。
座敷婆への嫌悪感と自分に無力感を感じながら
育ってきたわたしは、自分の感受性を鈍らせて
心を感じさせないことで、自分を守ってきた。
相槌も頷きもしない無表情のわたしを前に
座敷婆はお構いなくしゃべり続けることができる。
同じことをくり返し言う人は変わることがない。
対話が必要なのは、座敷婆じゃない。
こどもたちを守るために我慢をやめる。
こどもたちの前だからこそ我慢しないで
わたしは、言いたいことを言うことにした。
そしてその後
我が家のリビングに、新しいテレビが来た。
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