ぬれ落ち葉になった母

2世帯同居生活が3年目に入る頃には
座敷婆の外出が減っていった。

同居して1,2年は
自分で見つけたフラワーアレンジメント教室に
自転車で通っていた。

座敷婆は血糖値を下げる薬を飲んでいて
引っ越し後の通院先を自分で決めてくるなど
行動力もあった。

ところが気がつけば、ずっと自分の部屋にいる。
教室や通院、定期的な外出をしなくなっていた。

平日の昼間、相手にする孫たちがいない時や
エネルギーを持て余した時は電話をしていた。

座敷婆は、同居の不平不満や愚痴、娘の悪口を
電話で友達に大声で話して鬱憤をはらしていた。

趣味のパッチワークや手芸などもしていたが
時折、発狂したような奇声や唸り声が聞こえた。

これは良くないと焦ったわたしは、知り合いに
頼んで老人会の集まりに母を誘ってもらった。

でも、新参者を歓迎する雰囲気がなかったようで
場や人と合わなかった母は2度と行かなかった。

地元では、仲の良い友達がいてよく遊んでいた。
座敷婆に社交性がないわけではない。

それまで人間関係に恵まれていたのは
地元は母のホームグラウンドだったことと
母が学校に勤めていたことが大きいと思う。

母の周りには先生を始めとした学校関係者がいて
みんな基本的に優しいし、構ってくれる人たちだ。

母が働いていた時にこんなエピソードを聞いた。
職場で東京ディズニーランドに行くことになった。

「そんなとこワタシ行きたくないわ」
と母が(嬉しそうに)言えば
「そんなん言わんと〇〇さんも一緒に行こうー」
と先生たちは誘ってくれるのだ。

先生たちも母の言葉と本心が違うのを知っていて
ひねくれた母のご機嫌を取ってくれたわけだ。

母は承認欲求が満たされてそれは嬉しそうだった。
せやけど、ちやほやされ過ぎたね。

お出かけが大好きな座敷婆は、母娘で一緒に
ランチや買い物に行きたかったのだろう。

だけどわたしは、座敷婆との接触を避けた。

娘2人を保育園に預け、平日の行動が身軽になれば
買い物をハシゴして家を空ける以外にも
積極的に用事や約束を作って長時間1人で外出した。

座敷婆は、娘がいないことに寂しさを感じても
その寂しさを怒りでしか表現できないから
わたしが家に居るとケンカを売りにくる。

座敷婆にすれば、わたしとの接触が減ることで
見捨てられる不安や存在不安が増していくから
どうにかしてわたしと接触を取りたかったのだろう。

だけどわたしは、自分を守るために距離を取った。

わたしは流産直後に実母から食らったダメージ
神経がより過敏になって過覚醒状態になっていた。
自分の家なのに、安心して昼寝もできなくなった。

座敷婆は座敷婆で、どんどん情緒不安定になった。

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