認知症の母は自分の異変を感じて困惑していた

絶対ムリだと思っていた別居が現実になった
母がアパートで一人暮らしたのは約半年だった。

ムラや波があった、アルツハイマーの症状は
その半年のうちに確実に進行していった。

どん詰まりになった母娘の前に現れた救世主
Iさんは、母の部屋に足繁く通ってくれた。

朝早くから来てくれてありがたかったが、開け放した
窓から聞こえるIさんの声が大きくて、苦情が出た。

大家から苦情の手紙が届いて、引っ越し後間なしの
トラブルに、わたしは頭を痛めた。

アパート住人の、母と同年代のおひとりさま女性3人が
わらわらと母の部屋に押しかけて、苦情を言いに来た。

母は、他人が自分の部屋に来て怒っているのによそ事で
食パンをかじっている。わたしとIさんが場を収めた。

女性3人には、余計に不安を与える情報だったけれど
母が初期の認知症であることをカミングアウトした。

3人のうちYさんは理解者となってくれ、母の話し相手を
してくれるなど、母に好意的に接してくれた。

玄関先でのちょっと間の、とりとめない世間話程度なら
母の言動のチグハグさはわからない。

母は、アパート周辺のスーパーに1人で買い物に行ったが
帰り道がわからなくなり、わたしが迎えに行ったことが
ある。スーパーから、わたしに電話がかかってきた。

母のアパートからスーパーまでは、比較的単純な道順。
我が家までは、スーパーに行くよりややこしい道順だが
母は、突然、我が家に来ることがあった。

早朝、家の玄関先で、ガッガッと不審な物音がするから
玄関のドアを開けると花壇の草引きをしている母がいた。

ホラーだよ。流産直後に実母から食らったダメージ
まだ癒えてないわたしに戦慄が走った。

わずかな時間でも、母を一旦家に入れてしまったら
家に居座られるのではないかと、本気で震えた。

また違う日には
わたしの留守中に家に行ったと、母から電話があった。

「パン屋でパンを買って持って行った。留守やったし
裏口の倉庫に入れといたで」と母が言う。
わたしは倉庫を開けてみたが、パンの袋などない。

「何にも入ってないで???」と、わたしが言うと
「えええ?ない?入ってない???」と、母が言い
受話器の向こうから困惑した様子が伝わってきた。

母は、自分自身の異変を感じているようだった。
たぶん母はパンを食べてしまったのだろう。あり得る。

パンを買ってからわたしに電話するまでの行動は正常
なのに、パンを食べた記憶だけが消えているのか。。。

母のアパ―トに持っていった食料品は、調理しないで
食べられるパンや果物はなくなっていた。

わたしが母に「朝ごはん、何食べた?」と聞くと
「そこらのもんで作った」などと母は言った。

でも冷蔵庫の野菜はおろか、お惣菜すら減っていない。
はぐらかすのも、アルツハイマーの特徴だと聞いた。

一方で、母は銀行に問い合わせの電話をかけたりして
認知症状にはばらつきやムラがあった。

「ワタシはボケてないッ💢」と主張する母は
わたしが提案した配食サービスなども拒否するので
完全にボケるまで介護サービスに繋げられない状態。

Iさんは、冷蔵庫の食品で料理をして食事を作って
くれた。母とおしゃべりして日中を過ごしてくれた。

母の一人暮らしは、Iさんが頼りだった。

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