もっと、わたしに懐の広さがあったら

母のアパートでの一人暮らしが落ち着いてから
4ヶ月ほど、わたしはカウンセリングに通った。

団塊の世代くらいの女性カウンセラーさんは
わたしの悩みを聞いて、最近(当時2010年夏)
家族関係の拗れた高齢者が増えていると言った。

心理的な問題を抱えたまま認知症や要介護になって
トラブルを起こし、施設を転々とするケースが多く
怒りなどの激しい感情を薬で抑えることになるらしい。

薬で抑えても、怒りがなくなったわけではないので
根本的な解決にならないということだった。

カウンセラーさんの勧めで母もカウンセリングに通った。
カウンセリングは一対一なので
母がどんな話をしていたか、わたしは知らない。

カウンセラーさんは、2人で人差し指を唇の前に立て
「ここだけの話ね」と、母と笑い合ったと伝えてくれた。

母の攻撃的な物言いを
「『愛をくれえーくれえー』って言ってるように聞こえる」
と、カウンセラーさんが言った。

わたしは答えた。
「わかっているけど、もう無理なんです」

こんなふうに、母のことを人から何かしら言われたり
また、何も言われなくても、時折わたしは考えていた。

同居後の母への、自分の言動や態度を省みては
「もっと、わたしに懐の広さがあったら、、、」
こんなことにはならなかったのではないか。

また、わたしが40代で反抗期を迎えてキレたことを
「もっと、母が若かった頃にキレていれば、、、」
今とは違った結果になっていたのではないか。

でも、何度考えてみても
すべて必然で、必要な出来事が、ベストタイミングで
起きたとしか考えられなかった。

その時のわたしに母を受け容れることは無理だったし
未熟でも、必死だった自分を責めたりはできない。

その時持っていた自分の全力を絞り出して
やれるだけやったと言い切れるから、後悔はない。

同居は、わたしと母の抱える問題を浮き彫りにした。
母との同居は必然の苦しみだったと思う。

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