母のお葬式が終わってから
自宅に祭壇を作って心が過去に引き戻されていく
恐怖を感じ、遺影や骨壷などを片付けた。
12月半ばに故人の写真入り喪中はがきを送った
母の友人たち、わたしの地元の友人たちから
お悔やみやお供えの品が届いた。
友人たちが送ってくれた白い花を見つめていると
わたしの心は、日毎に和らいでいった。
真心のお悔みはグリーフケアになった。
初七日は、自宅で家族だけで読経をして
お葬式や母について話をする時間を取った。
7日毎に、薄紙を剥ぐような心の変化を感じた。
四十九日という期間は
グリーフケアそのものなのだと、体感した。
同時に、身内のお葬式に参列した時に
常々感じていた違和感も思い出した。
お葬式当日に初七日法要をやったり
先々の法要をまとめてやったりするのを見て
「それって意味あんの?」って思ってた。
遺族が故人の死を受け容れ、心を整理したり
前を向く気持ちになるのには、時間が必要。
体にできた切り傷だって適切な治療をした後に
ちゃんと治すには、日にち薬しかない。
時間を置くことに意味があると思うから
法要が、初七日、四十九日、百箇日、一周忌、、
節目になっているのは理に適っているんだな。
四十九日って、遺された人が悲しみだけではない
複雑な心の痛みに向き合い、乗り越えていく期間。
故人の成仏を祈るとか、供養をする儀式というのは
故人のため、というよりも
遺された人の心を癒やすために必要だと思う。
儀式は生きている人のためのものだと思っている。
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