アルツハイマー認知症と診断された母

母が我が家を出ていくことになって、わたしは
母の離婚に対する疑念を思い出し、感傷的になった。

「こうして、この人はまた、捨てられるんだ」
一度目は、夫に。そして今度は、実の娘に。

母の娘をやめたわたしは他人事のように胸を痛めた。

なぜ離婚に至ったのか?なぜ別居に至ったのか?
自分自身に向き合うことができない母。

「捨てられる」と言っても
離婚も別居も、実は母自身の選択の結果なのだ。

母のアパートは、うちから車で3分程度で
うちの家から保育園までの途中にあった。

保育園の送迎の前後に、買い物をして
母に食材や日用品を届ける生活が始まった。

Iさんは約束どおり、午前中の早い時間から
母の部屋に遊びに来てくれた。

やっとわたしは、母を受診させる段取りを
考えられるようになっていった。

保育園近くの病院で働いている看護師のママ友に
母が認知症かもしれないと相談してみた。

すると、その病院に併設された介護事業所の
ケアマネージャーさんを紹介してくれて
受診と施設見学の予約ができた。

地元じゃないし身内もいないから、頼りはママ友。
恥とか外聞とかなかった。

「市の健康診断の案内が届いているから行こう」
という誘い文句で、母を病院に連れて行った。
Iさんが一緒なら母は安心して素直についてくる。

母は長谷川式認知症テストを受けて、脳のMRIを
撮ることになった。
脳の海馬は萎縮していてアルツハイマーだった。

ショックというより「あ、やっぱりな」。
認知症の疑いがクロになった出来事からのお墨付き。
診断結果はクロもクロ、マックロだった。

母にまだ正気が、判断力が残っているうちにと
わたしは、一気に動き始めた。

Iさんは母に「お金の管理は娘さんに任せたら」
と言ってくれ、母はIさんの言うとおりにした。

もっと驚いたのは
Iさんの一言で、わたしに車を買ってくれたこと。
散々、母はわたしに「金を返せ」と言ってたのに。

当時、わたしの乗っていた軽自動車が古くて
粘着力のなくなった天井のシートが垂れ下がって
すんごくみすぼらしかった。

母とわたしとIさんの3人は
いつも、わたしの車で行動をともにしていたから
車のオンボロさを見かねたIさんが、何気に母に
「娘さんに車、買ってあげたら」って言ったんだ。

Iさんといると、なんかもう信じられないくらい
母は穏やかで素直だった。

Iさんのおかげで、わたしはスムーズに
母の年金や保険、賃貸にしていた実家の管理など
銀行が絡む重要な事柄を掌握できるようになった。

わたしの人生で一番泣いた日はIさんが逝った日。

Iさんは、出会ってから亡くなるまでの約1年間に
不思議なことに、わたし一人だけではできなかった
必要なことのすべてをやり切ってくれた。

わたしはわたしで、地域包括支援センターに行ったり
老人ホームやグループホームなどの施設を見学して
母に合う終の棲家を探し始めた。

また、自分のカウンセリングにも通い始めた。
カウンセリングを受けることに決めた一言
これもまた、保育園のママ友の言葉だった。

その後も、困難な局面になると、わたしの前には
強力なサポートをしてくれる人が現われた。

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