お通夜でアルバムを開いて母を偲ぶ

結局、わたしは、母を知るわたしの地元の友人と
母の友人たちにも、母の訃報を知らせなかった。

一人暮らしの母のアパートに遊びに来て下さった
中学の同級生の方たちもいたが、誰にも連絡せず
故人の写真入り喪中はがきで、訃報を知らせた。

わたしファーストにしたら家族葬になった
自分勝手で、友人たちとのお別れの機会を奪った。

義理を欠いたわたしに届いたのは
母とわたしの友人たちからの電話や手紙、御供物で
真心のお悔みはグリーフケアになった。

お通夜には
母のケアマネTさん、施設(サ高住)の責任者と
兄夫婦、兄のこども3人がお参りに来てくれた。

喪主挨拶の後、兄家族との歓談の時間を作った。
母のアルバムを並べて、自由に観てもらった。

わたしと年子の兄は、両親の離婚で
3,4歳の頃に別れて育っている。

母との関係に悩んだわたしは、義母の勧めで
離婚して別れた父に会う決意をした
それから、兄家族との交流が始まっていた。

兄の奥さんが「おばあちゃん写ってるで!」と
嬉しそうに言い、兄のこどもたちが覗き込んだ。

母のアルバムに、兄の奥さんのお母さん(故人)の
姿があった。わたしの母と職場が一緒だったのだ。
兄の奥さんのお母さんを偲ぶ時間にもなった。

わたしは兄に、へその緒の入った桐箱を渡した。
桐箱の裏には、兄の名と生年月日、父母の名と住所
産院名が記されていた。

母がずっとタンスの引き出しにしまっていたもの。
渡した瞬間、兄の表情が少し変化した気がするが
どんな気持ちだったのか、わたしにはわからない。

母子の証明みたいなこんなもん、わたしは要らん。
母の棺に返した(笑)のかどうかも、もう忘れてる。

でも、兄には、この桐箱から感じ取るメッセージが
必要かもしれないし、渡そうと思った。
どうかポジティブなものであってほしいと願った。

兄家族は通夜だけの参列だったので
ゆっくりできる時間が作れてよかったと思う。

お通夜が終わり、わたしたち家族は自宅に帰った。
葬儀場には、宿直の常駐スタッフがいて
遺体の見守りをしてくれるため、宿泊しなかった。

正直、亡くなったとはいえ
母のそばにいたいとは思えんかったな(-_-;)。

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