自分の人生を引き受けるのは自分

ひとり娘だから、というだけでは腑に落ちなかった
母のわたしへの執着に納得できる答えが見つかった。
無条件で愛されているのは、こどもではなく親

きっと母は、こどもだったわたしから愛された記憶が
忘れられない、に違いない。

愛が不足している大人は、親でいる限り
こどもからの愛は永遠だと勘違いするのかもしれないが
親が世界のすべてだったこどもも、成長していく。

見捨てられる不安と孤独の恐怖を抱えていた母
精神的に成熟する過程を経た大人ではないのだ。

母が、無条件の愛を欲していたとして、わたしは
あの母に、愛を、エネルギーを、注ぐことができる?

一応、、、考えてみたけど、ごめん、無理だわ。
だって

母との同居で、自分の心の傷に気づいたわたしは
噴き出した母への怒りに翻弄される日々。

母娘問題の解決の糸口を掴み始めたところで
わたしの心も、いまだに不安定だった。

それに、わたしには、親として責任があるから
キャパが狭くても、子育てと家事をこなした。

気持ちが通い合う幼い娘たちとのスキンシップや
コミュニケーションで、わたしは心が満たされた。

日々成長し変化するこどもたちを見て喜びを感じた。
自分の創った家族がいるから、未来に希望が持てた。

だから、今、わたしの一番大切な仕事は
1歳と3歳の我が子に必要な安全基地を作ることだ。

こどもたちを守るために我慢をやめることにしたけど
わたしが母に言いたいことを言うようになったところで
母との不毛な衝突、堂々巡りは死ぬまで続く。

母は、昔っから変わっていないから
小5で3分家出をして母にぶたれた時にはすでに
二世帯同居で気づいた実母の心の闇はあっただろう。

長年、自分自身に向き合うことなく生きてきた母が
70過ぎて突然、変わるわけがない。
わたしは、わかり合うのを諦めることにした。

母の情緒不安定さは愛着障害のよう。
だとして、生育歴や障がいなどの原因があったとして
それは、娘のわたしの責任なのか?

自分の考えや言動を振り返って内省する力のない母が
苦悩や人生の課題を抱えたままだったとして
それは、娘のわたしの課題なのか?

娘といえども、母の人生に責任は持てない。
わたしには、わたしの課題がある。

母よ。。。知ってても知らなくても
自分の人生を引き受けるのは、自分しかいないんだよ。

わたしは、母よりこどもを選んだ。

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