母の形見は母が書き捨てたメモ

今年、2024年になってから
存在感のあった母の遺物を2つ処分した。

ひとつは表札。
1枚のプレートに我が家の姓と母の姓が並んでいた
二世帯の表札をやっと新しいものに取り替えた。

もうひとつはリビングのソファ。
長女出産後、産後の手伝いに来た母が買ってくれた。

20年も経って皮革がボロボロになっていたけど
座り心地が良くて、家族団欒の場所になっていた。
遊びに来たこどもの友達まで気に入っていたソファ。

破れた座面を修理しながら使い続けていた。
ジモティーで良い出物があり、ようやく買い替えた。

とうにモノとして役目が終わっていたし
母へのネガティブな感情が出てくることもなく
2つとも、軽~く手放した。

認知症の母の物を生前整理し始めたのは
一人暮らしの母が骨折して施設に入居した頃。

アルツハイマーが進行していく母を見ながら
もう着ないだろうと判断した服や母の趣味だった
パッチワーク関係の物などを整理していった。

売れそうな物はリサイクルショップに持ち込んで
片付け作業はサクサク進んでいた。最初のうちは。

残りわずかというところで手が止まってしまった。
母の物が置いてある場所に近づくのも億劫になった。
言葉にできない感情がわいてくる。

物は無言で母の存在を感じさせる
母の存在を消し去るような行為に抵抗がかかった。

親子関係の良い悪い関係なく、親の物の片付けって
精神的にも体力的にも辛いことだなあと思う。

昭和時代の写真は現物を捨てたらおしまいだけど
母が亡くなってから、母のアルバムは全部捨てた。

わたしの手元には、母の遺影に使った家族写真と
母がわたしに買った着物や帯が少し残っている。

残っている着物にべったり張り付いた嫌な感情
ないから、残っているんだけど
断捨離中は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態で。

物に罪はないとわかっちゃいても
物と向き合って母娘の癒着を剥がす儀式として
物理的に捨てる行為が必要だったのかなあと思う。

そして、わたしが母の形見として持っているのは
ただの紙くず。

40代で反抗期を迎えてキレたわたしが
欲しかったのは母と娘の心をつなぐ言葉だった。
その言葉はゴミ箱から拾い上げた母のメモにあった。

でも、これもいつか捨てる時がくるのかもなあ。

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